2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

動態化と労働過程

静止画像であることにおいて、全員が誰かにとってのファシスト*1。 そこから常に分析を再起動させ、動態化をこそ目指す。 私は以前、「ひきこもり支援においては、結果的にファシストが生まれても容認すべきだ」と書いた(参照)。 ファシズムへの順応であっ…

「で、あんたは?」

思想家を紹介したところで、知識や分析装置が増えるだけで、自分の足元を分析したことにはならない。 私がフランスの「制度を使った精神療法」や三脇康生を紹介しても、たいていは「難しい現代思想が好きなんですね」で終わる。 そのような指摘自体がナルシ…

現場的な自己反省のなさ

福祉思想や「当事者」という言葉への反発は、それが「自己反省のなさ」に見えるからだ。 反差別運動の一部は、「自分たちは反差別だ」というアリバイを得たと思い込んでおり*1、陰に隠れてひどい差別発言を行なう。 相手を名詞形のカテゴリー*2に落としこむ…

役割ナルシシズムと、「なかったこと」にされるプロセスの困難

ひきこもりに関連する中間集団では、お互いの関係調整と人物評価のロジックが、自意識と順応主義に支配されている。 結果的な《治療=順応》だけが問題になり、本人が《取り組む》プロセスは、主題にならない。 「観察主体」の側は、自分の取り組みプロセス…

映画『ラスト、コーション 色/戒』

新しく届いた往復書簡*1の原稿で斎藤環さんが言及されていて、久々に映画館に観にいった。 本当にいい映画。 【以下、ネタバレ注意。 ただし、基本的に引きこもり論です。 また、映画自体は18禁です(参照)。】 *1:『ビッグイシュー』掲載、「和樹と環のひ…

「引きこもり: 最多は30〜34歳 就職・就労きっかけで」(毎日新聞)

調査は、都内に住む15〜34歳の男女3000人を住民基本台帳から無作為抽出し、昨年9〜10月に個別に訪問。 1388人から協力を得た。 うち10人を引きこもりと判断し、別途調査した18人を加えて計28人を分析対象とした。 原因のトップは「職場…

「表現準備」

『practica〈2〉アート×セラピー潮流 (プラクティカ (2))』掲載の三脇康生の論考は、「表現準備状態」を論じており、同じ三脇の精神科臨床についての論考も、「表現準備療法について」と題されている*1。 美術批評家としても臨床家としても、三脇においては…

核心部分

http://d.hatena.ne.jp/mimi246/20080216/1203166568 (mimi246さん) それがいちばん現実的な解なのかな、と思います。 実はご指摘くださった部分が、あのエントリーの核心なのです*1。 分析プロセスを再起動させる余地がつねに残っている、だからこそ硬直…

制作過程としての制度分析

美術作品の実作者である、永瀬恭一氏(参照)より。 http://d.hatena.ne.jp/eyck/20080215 「美術批評家を参照した」から実作者に反応をいただけた、というより、ひきこもりそのものに関するこちらの思考を逆に「参照可能ではないか」と書いてくださったのが…

「過激な理論と、惰性の現場」ではなく

斎藤環氏が、某氏のような「ちゃらんぽらんな」支援者を気に入るのは、みずからがメタ的アリバイを確保し、臨床では「いい加減さ」においてしか風通しを作るすべを知らないからだ。 「理論は過激に、臨床は素朴に」*1。 しかし、必要なのはメタで厳密なアリバ…

結論ありきの支援論

朝起きるたびに、「順応するしかない」を思い出して吐きそうになる。 どこへ行っても、順応強迫のナルシシズムしかない。 「社会参加しなければならない」――着地点が先に決まっていて、あとはそれに合わせてできるかどうかだけが問題になっている。 課題だけ…

語りの階層を分けることの、臨床的害悪

メタに語られた内容と、「観察対象」にされた語りでは、語りの階層(レイヤー)が違ってしまう。 自分の足元を分析する努力には、メタそのものを掘り崩す権限がないとされる*1。 「観察主体」として振る舞う側は、メタ語りの帝国に順応し、みずからの領土拡…

役割固定のナルシシズムが、内発的な分析をすべて無化する

「自分は○○で、あなたは△△」。 カテゴリー順応の中で、全員が静態的なナルシシズムを維持してしまい、その状況そのものを分析する話が誰にも通じない。 支援対象者として囲われた者の発言は、支援者・研究者の「あたたかい目」に見守られる。 見守り、見守ら…

「症状化」とアリバイ競争

ICCシンポジウム:「ネットワーク社会の文化と創造」、斎藤環の発言より: 精神病のありように関しては、ネットワークはほとんど影響していない。 ただ、別の領域があって、心因性の問題――ヒステリー・摂食障害・ひきこもりなど――に関しては、ネットワークの…

一人ひとりが、誰かの労働条件

自分がどんな考え方をし、何をするかが、誰かにとっての客体的労働条件にあたる。 ひきこもっている本人も、家族にとっての労働条件だ。*1 既存の左翼言説は、個人を「労働力商品(主体的労働力)」としか見ない。 そう語っている論者自身が、誰かの労働条件…

努力の文法と、商品経済

理解できないのは、語彙ではなくて文法が違う。 労働の文法が違う*1。 すなわち、みずからを社会化するスタイルが違う。 これは「現場の思想の違い」になる。 ある現場に参加することで、努力の文法を支配されてしまう。(内容というよりは文法の問題だ。左…

順応主義と、専門性ナルシシズム

シニカルな人は、専門性に弱い。 彼らが嗤うのはあくまで「知らないのに知った振りをしている」に対してであり、「専門家」には簡単に去勢される。 裏返せばそこに最悪のナルシシズムがある。 既存枠組みでの専門性は、それへの順応主義の形で窒息をもたらす…

ここでいう制度分析とは

ふつう「制度分析」というと、経済学の「比較制度分析」などが連想されますが、ここでフランスの教育学や精神医療を参照して話題にしている「制度分析」とは、自分のいる場所での、権力関係への当事者的・内在的分析にあたります。 学問的専門性という以前に…

市場と過程

ジャン・ウリの講演「表現活動とラ・ボルド病院」より(強調は引用者): マルクスが「商品」という問題を深く考察しましたけれども、そのような商品として表現を売り買いする、値段をつける、そのようなことがあっていいのかどうか。これは私は言い過ぎでは…

結果と過程

「制度を使った精神療法」の中心人物ジャン・ウリの講演、「表現活動とラ・ボルド病院」(2005年8月6日@東京医科大学臨床講堂)*1より(強調は引用者): 私は、アール・ブリュットに非常に興味を持った人として有名な、画家のデュビュッフェと1948年に会い…

権力の内在的分析という、“臨床的” 課題

ジャン・ウリやガタリが、教育や精神療法に関して「制度分析」と言っているのは、「権力の分析」であり、その分析を内在的に行うということだ。 ここに日本語での、「当事者」という文脈が関係する。 「当事者発言」は、権力の内在的分析にあたる*1。 生活の…

映画『ペレ [DVD]』

【動画、ネタバレ注意】 真摯さと残酷さがすごく美しい。 映画作品としては、いちばん好きかも。

《内容》 と 《過程》

メタな内容にこだわる人は、みずからがプロセスとして実現されることを忘れている。 ひきこもる人も、学者もラカニアンも、考察内容そのものに没頭していて、自分が取り組みの労働過程であり、そこにこそ起きる問題であることを忘れている。 ふれあいにこだ…

転移の作り方

東浩紀の「概念のキャラ立ち」と、三脇康生の言語様態分析*1での、転移させ方の作法の違い。 東では実体的キャラクターが転移の入り口だが、三脇では、制度分析して外部と疎通させる感じがある(だから精神の窒息に劇的に機能する)。 実体的キャラを転移の…

分析こそ排除される

政治性が機能しない現場では、正当な問題提起はすべて《傲慢さ》で処理される。 アカデミズムと在野業界の敵対はずっと続いているのに、それをあからさまに分析しようとすると、「そんな問題は存在しない」とされる。 にこやかな挨拶が交わされ、お互いの冷…

「お前もがんばれよ」――順応労働と、分析労働

三脇康生氏との電話のメモ*1。 決定的モチーフが整理できたと感じている。 ラカン派は、労働を過程として論じることができない。 ジジェクが労働を論じても、ヘーゲルにしかならない。 結果(作品)についてあれこれ論じることはできても、制作するプロセス…

「役割分析同士の出会い」の具体例

「制度を使った精神療法」について、実際に滋賀の湖南病院で取り組まれたときの記録です*1。 看護職と福祉職のあいだの緊張関係と、そのやり取りに臨場感があります。(強調は引用者) 湖南病院では2000年3月に新病棟が建設され、老人保健施設や社会復帰施設…

現時点の制度と差異*1

「ナルシシズム(しかし事態はそんなに簡単じゃない)」(mimi246さん)より: 今までわたしが何に対して怒り続けてきたのか、全部とは言わないまでも7割くらいわかりました。 それは「他人のナルシシズム」に対してです。 御意。 文化のほとんどが自意識や…

役割意識に縛られすぎることの弊害

神戸で、あるたまり場スタッフの皆さんに、「制度を使った精神療法」の説明を試みました。 実際に支援に携わる方々に、自覚的に提案したのは初めてでした。 役割意識に縛られることの弊害を論じたのですが、私自身は、この説明を共有いただく作業自体に、憑…