生成AIのことを「確率的に次の語を探してるだけ」と見下すのが定番だったのが、
ここ最近は数学の未解決問題を解いてみせたり(参照)
システムの弱点をあっという間に探し出したり(参照)
――むしろAIの挙動から人間の思考が逆照射され、「実は人間の思考は大したことはしてないのでは」と思えると同時に、それが心理的には救いになっていたりする。人間はある種の情報処理にすぎないんだろう。
本書前半で、「AIは当事者として体験しない」とある。上野千鶴子らの当事者論では、当事者という語を連呼するものの実は《加担責任》という論点は卑怯にも削除されている。ネイティブの日本語話者なら、当事者という語に《責任》という怖いニュアンスがあることに気づくだろうが、なんと大学で言われている当事者論には、《加担責任を負う》という論点がない。つまり彼らは、何をやろうがその結果責任を負うつもりがない*2。いっぽう岡野原の本書ではAIの当事者性を論じながら「AIは責任を負えない」という話をくり返すわけで、ある意味では上野千鶴子らよりマシな話をしている。
「責任を負えないAIをどう社会に編入させるのか」という話は、当事者という語をハブとしながら、社会運動系言説の無責任きわまりない現状への批評にもなり得る。
*1:興味深い論点があるもののさすがに同じ話を何度も繰り返しすぎていて、半分以下の原稿量で良かったかも。
*2:だから「不都合なデータは隠す」などと研究不正を公言している。もちろんこれは間もなく社会的制裁の対象となるだろう。
