2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ベタに模倣するのではなく、分析労働としての自己構成

「やりたいということはやらせてみる」(p.154)など、斎藤の方針には、ひきこもる本人をどこか特権的に、「いたわりの対象」として扱う姿勢が見られる。これはまず、ご家族と本人の議論では、強い立場に立つ親が一方的にまくしたてることになり、「議論」と…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 4

【その1】、 【その2】、 【その3】

「プロセスとしての危機」を主題化する必要

今回の一連の批判は、《表象 representation》 に分析を加える斎藤環のやり方に対し、徹底して 《プロセス》 に照準した問題意識や実践案をぶつけている。 ありていに言えば、表象分析という斎藤のスタイルは、臨床的にかえって苦痛を大きくする側面をもつ*1…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 3

【その1】、 【その2】、 【その4】

「順応済みの主体」によるポジション・トークではなく

社会は、既存の承認された欲望スタイルしか、私たちに提示しない。しかし、取り組む道はそれだけではない。何かが着手されるときの「関与の手続き」にこそ、主体が成り立つプロセスの、危機の政治が賭けられている*1。 斎藤の議論は、ここで「譲歩するな」と…

「欲望フレームへのせき立て」ではなく、「フレーム自体を作業場にする」必要がある。

本書の斎藤は、親御さんへのアドバイスとして、「安心してひきこもれる環境作りを」 「まず害をなさない」 「やりたいということはやらせてみる」という。 これは、いくら説得してもどうしても〈説教〉を始めてしまうご家族に対してはぜひとも必要なガイドラ…

斎藤の議論は、いわば「成功した欲望のフレーム」から為されている。

斎藤の場合、「精神科医がオタク趣味を持っている」というより、「オタク的な欲望フレームで精神病理学をやっている」というほうが当たっている。 彼の欲望フレームがひきこもりを対象として見出し、そこで描写している。 ひきこもりに関する表象がさまざま…

「考え方」自体を分析対象にする

本書「はじめに」より(強調は引用者)。 私は精神分析医ではありません(「日本精神分析学会」と「日本ラカン協会」のメンバーではありますが)。 分析理論の知識は、ほとんどが論文や書物を通じて学んだものばかりです。 なかには知識の偏りや誤解が含まれ…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 2

【その1】、 【その3】、 【その4】 少し間が開いてしまいました。 オフラインで取り組んでいた仕事も、今回の斎藤本批評と同じテーマでした。(作業は継続中で、遠からず皆さんにご紹介できることを目指しています。) 以下の論考は、基本的には一つのモ…

NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか 〜天才数学者 失踪の謎〜」

参照:「グリゴリー・ペレルマン - Wikipedia」 途中からだったが、観てよかった。 再放送: 10月24日(水) 深夜【25日午前】 0時20分〜1時19分 総合 【追記:ぜんぶ観ることができました。】

『爆笑問題のニッポンの教養』 FILE015:「ひきこもりでセカイが開く時」

爆笑問題が、毎回、世界水準にある学者たちと、研究室で知の異種格闘技。 10月30日 23:00〜、ゲストは斎藤環さんとのこと。 太田も高校時代の孤独な体験を告白。 文学やアニメへの想いと、内に“ひきこもる”ことの苦しみと可能性を語りあう。 上記リ…

メモ

「もうちょっとちゃんと考えてくれよ」というのが、僕ら人間のお互いの文句だ。 その文句自体が、また制度を成している。 いや、その前に、それは再考察の場所だ。

不自由の臨床論

「治る」ということを、私は「自由になること」と考えています。 (p.186) まずニートは経済学的用語ですが、ひきこもりはどの分野の言葉か所属がいまだにあいまいです。精神学*1用語でもありませんし、心理学でも、社会学でも、教育学の用語でもない。ただ…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 1

ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ (シリーズCura)作者: 斎藤環出版社/メーカー: 中央法規出版発売日: 2007/10/01メディア: 単行本購入: 14人 クリック: 177回この商品を含むブログ (25件) を見る【その2】、 【その3】、 【その4】

「“ニート”からの脱出を目指すEZweb向けシミュレーションゲーム」

【参照】:「目指せニート脱出!! 池袋ひきこもり伝説 がんばれ!ニート君」(GA NEWS) 「ゲームの主人公」という自意識・ナルシシズムは、サバイバルのための選択肢であり得るだろうか。

雑誌『ビッグイシュー』 第81号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『参加資格の流儀』です。 【特集】: 悲しみ、絶望からの帰還――犯罪被害者の権利と回復のために 【インタビュー】: ジョン・ボン・ジョヴィ 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち…

イベント情報 「「ニート騒動」は終わったのか?」

チラシより。 日時: 12月1日(土) 13:30〜16:30 (13時開場) 会場: 大阪市立中央青年センター 第2ホール 第1部 問題提起 13:30〜14:30 パネラー: 【現場の視点から】 田中俊英 (NPO法人淡路プラッツ代表) 【研究の視点から】 井出草平 (大…

「ひきこもり村。閉鎖のお知らせ」

ひきこもり村。は9月30日を持って閉鎖することになりました。 インターネット上で、ひきこもりに関するコミュニティを作る試みとして、これからも記憶され、話題の中で参照され続けると思います。 おつかれさまでした。 【関連】: 「懺悔」(侑摩佳彌さ…

大事な話をしたくても、ほとんどの人は忙しすぎる。

仕事をしている知人たちとは、大切なことをじっくり話し合うだけの時間が取れない。関係が維持できないし、彼らの進路について考えるにも、肝腎なところで決定的な戦略ミスをする。 忙殺されたままで、過剰流動性に投げ込まれている。 それは結果的に、個人…

「精神そのものが政治的な事態だ」という理解

社会的ひきこもりは、それ自体としては「病気」の圏内にはない。あくまで神経症圏であり、医師の診断によって精神病圏と判明した閉じこもりは、「社会的ひきこもり」とは別の処遇(障害者年金の支給・投薬など)が必要になる*1。 しかし、たとえば私は「自分…

「現実とつながれない不自由」――メールより

【注】: 東浩紀氏の、「もともと自由ではまったくなかった」という発言に関して知人からメールをもらい、それにお返事した文面を推敲し、許可を得て以下にUPします。▼そもそも私は、まずは「主体の困難」を問題にしていて、だから《参加の手続き》をそれ自…

場所の論点化と、「ひきこもり」

支援の場所は、ひとつの論点として成り立つ。そこで何が為されるべきなのか、ルーチンとして決まっているわけではない。ただ《場所》がなければ、《論点》としても霧消しかねない。支援という場所は、つねに論じ直されるべき論点として成り立つ。 学問は、そ…

ジレンマと判断基準

自意識は、効果てきめんで周囲からの評価を奪う*1。 ひきこもっていた人は、社会から切断されることで自意識地獄になっている。もともと「気にしすぎる」タイプでもある。 今の私は、支援技法や思想を検討するのに、「よりナルシシズムから楽にしてくれるの…

ドキュメンタリー番組 「ミャンマー オーストラリア人記者は見た」視聴

ミャンマーでは、この20年間で3千以上の村が、政府軍によって襲撃されたと言われる。 ミャンマーは豊富な天然資源に恵まれながら、国家予算の2分の1を軍事費に投入しているため、国民の3人に1人が栄養失調に陥り、世界最貧国のひとつに数えられている。 人口…

シンポジウム 「ハイデッガーとフランス思想 <ひと>概念をめぐって」 参加

日時: 2007年9月28日(金) 17時30分〜20時30分 場所: 芝蘭会館本館・山内ホール パネラー: 合田正人(明治大学) 佐藤吉幸(筑波大学) 加藤恵介(神戸山手大学) 立木康介(京都大学・人文科学研究所) 三脇康生(仁愛大学) 多賀茂(京都大学) 私的な…