2010-01-01から1年間の記事一覧

問題意識の分断

葛藤が労働に支配されれば、もう問題意識はそこにしかなくなる。 《つながり》は労働に支配される。そこに疑問を持てば、集団から排除される*1。 ▼扶養されることすらできなくなった人は生活に必死で、「家にいられる人の葛藤」なんか考えない。――だから、そ…

育て上げ

本当に必要な問題意識を、環境ごと育て上げる。 それが最良の支援事業*1。 特定の問題意識が、構造的に排除される。その問題意識を抱いた者は、「働いていない」ことになる*2。 意思決定権者の思い通りを演じるピエロだけが、奴隷としてのおこぼれにあずかる…

元気になるとは、作り手に回るということ

主権者であれば、実績を通じてしか評価されない。 ひきこもりに関する番組やイベントは、まず医師・学者・ジャーナリストなどで構成される。 悩んでいる本人たちは、「観察対象」でしかない。 考えてみれば、これは異様なことだ。 25年前の親世代が作った…

研究を通じてつながること

つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)作者: 綾屋紗月,熊谷晋一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2010/12/08メディア: 新書購入: 9人 クリック: 165回この商品を含むブログ (28件) を見る 珍しい昆虫を外部から観察するような目線をとら…

政治化、という処方箋

いただいたコメントより: tokyocat しかし年を取ると、むしろこれに加え、「どうせ死ぬなら、今何を我慢する必要があるか」 「夢だけ追いかけて何が悪い」 「我慢して仕事しますか? それとも死にますか? ―死にます!」という選択肢もリアルになる。 関連…

形式主義という実験ラボ

石川和広(@ishikawakz)氏 と 岡崎乾二郎(@kenjirookazaki)氏 のやり取り。 石川: 私小説の「私」っていうのは書く活動における「実験ラボ」みたいなものとしてとらえた方が良いですね。たぶんそうすると「命を懸けて書く」というと精神論的になるから言…

夢みるあなたは私の現実

番組内の発言より(大意): ひろゆき氏: 「本当に違法と言えるようなブラック企業であれば、労働基準監督署に駆け込んで裁判でもやればいい。基本的には《お金をもらう仕事》と割り切って、条件がつらくても我慢するしかない」 本田由紀氏: 「まっとうな…

《社会性》の制作過程

ここ数年の私は、大きく次のことを話題にしている。 人間を「ひきこもり」「当事者」などと名詞形で語るな(参照) 関係責任において*1、起きたことを素材化する(参照) (a)形式的禁止と (b)再帰的くみ替え のくり返し(参照) これらはすべて、主観性*…

専門家の承認願望に搾取される社会問題

働かないことが問題となる引きこもり。 皮肉なことに、この問題の専門家は、「仕事をした」というアリバイ作りしかしていないことが多い*1。彼らは、ルーチンをこなすだけで承認と対価を得られる*2。 逆にいうと、ディシプリンをはみ出した努力では業績にな…

中間集団と主観性の編成過程

中間集団は、それ自体が事業として反復される。 主観性と中間集団を主題化することは、労働過程と「資本のもとでの労働過程」を主題化することに重なる。 この問題意識こそが、一方的な事業計画(専門性や中間集団の作法)によって潰される。 この論点は、関…

中間集団の問題が、なかったことにされている。

同じ人が同じ真面目な話をしているのに、ビートたけしの番組に出ていると、何か滑稽に見える。そこでたけし氏が果たす機能を、個人崇拝とは別のかたちで論じる必要がある。 《雰囲気=解釈グリッド》が、どう設計されるか*1。 「世界史の構造 (岩波現代文庫 …

京都にお邪魔していたのですが。 今日が転機になるかもしれないというこの感覚が少しでも形になることを祈りつつ。

「当事者」を、名詞形で言うのをやめませんか。

いちど孤立した人が居場所を作ろうとするとき、つながれたかどうかだけでなく、《どういうスタイルで繋がるか》が問われる*1。 しかし孤立する恐怖は、つながりそれ自体を強迫化する。 あるつながりを、そのスタイルを問わずに絶対化する。 《当事者ナショナ…

ブラジルの「フェリックス・ガタリ研究所」

『フレンチ・セオリー ―アメリカにおけるフランス現代思想 (.)』p.297 に、「ベロホリゾンテにはフェリックス・ガタリ研究所がある」という記述が。 ググってみると、以下の三ヶ所がストリートビューつきで出てきました。 【A】 【B】 【C】 関連して、『Gre…

社会参加の批評に、単なるメタはあり得ない

Togetter 「美術批評家が、なぜ村上隆については「口を噤んでしまう」のか?」、 水野亮(みずの・りょう)氏の tweet より*1: 俺は村上隆のやっていることは煎じ詰めれば「デュシャンの便器」と変わらないと思っている。つまりマガイモノ(便器)を本物(…

「fonction décisoire」――創発的な法?

ガタリの文章に登場する 《外的な法 loi extérieure / 内的な法 loi intérieure》 という対比(参照)は、 現在のラボルド病院で語られる 《décision / décisoire》 《モル的な法 Molar Law / 創発的な法 Emergent Law》*1 という対比と、 同じもののはずだ…

巻き込まれた制作過程

ひきこもることは、不潔恐怖や洗浄強迫で風呂に入れなくなることに似る(参照)。 「正しさ」への嗜癖的固着が、身動きをとれなくする。 同様に社会参加は、「自転車に乗ること」に喩えられる。 意識することが少ないほど、うまく乗れる。 ここでの 《洗う》…

呼吸の努力

ドゥルーズ 『批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10)』pp.16-7 より:(強調は引用者): 人はみずからの神経症を手立てにものを書くわけではない。神経症や精神病というのは、生の移行ではなく、プロセスが遮断され、妨げられ、塞がれてしまったときに人が陥る状態…

専門性による、核心的論点の排除

ひきこもりについてまともに考えてしまうと、社会的にパージされてしまう。これは、「心身症で社会参加できない」ことと、焦点が違いつつ、無関係ではない。 苦しい状態に内在的に取り組むことが許されていないゆえに*1、「内側から取り組むこと」が排除され…

「まちがっている」ことと、「病んでいる」こと

『Masochism: Coldness and Cruelty & Venus in Furs (Zone Books)』掲載、 ドゥルーズ 「冷たさと残酷さ Coldness and Cruelty」 より(参照): 《(文学的に)批評的であること》 と 《(医療的に)臨床的であること》 は、相互に学び合う新しい関係に入…

本当に独立した悩み方が始められるか否か。

集団的にはまり込んでいる努力や興味のあり方が、苦痛を再生産する枠組みそのものであること。 受けの良いことを目指すだけでは、集団的傾向それ自体の生み出す苦しみを対象化できない*1。 本当に必要な努力モチーフは、まずはほとんど支持を得られない。 「…

DSM-5 ドラフトについて

雑誌『精神科治療学 第25巻08号』 《今月の特集:DSM-5 ドラフトをどう考えるか》*1 公開されている「DSM-5ドラフト」(英語) 各章冒頭の「抄録」が公開されていますが(参照)、一般向けの解説本を何冊も読むより、これ一冊を念入りに調べたほうが何倍も…

本当の問題点を指摘すると、まずはとにかく孤立する*1。 その状況に苛立って、最初の問題意識に固着するとそのまま終わる。 「以前は苦しかった人たち」という語りのポジションは、 これから作ろうとする関係にあるかもしれない問題点や*2、 目の前にある問…

映画学校に通ったわけでもない1983年生まれの男性が、独学で監督・脚本・編集・プロデュースをやり、予算50万円くらいで初めて撮った映画らしいのですが。 「今、僕は」(ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル)*1 以下、宇多丸氏の発言より…

惰性が最適解ではないとして

「くそまじめをすることで信用を作ろう」・・・・くそまじめしか出来ない奴に柔軟な相談はできない。 「最適解がわからない」という意味で、政治が分からない*1。 駄目な政治家しかいないなら、「誰も選ばない」が解になる、しかしそれでは回らない。 けっき…

各ポジションにおける言説事業と、目の前の関係性

現代思想2010年10月号 特集=臨床現象学 精神医学・リハビリテーション・看護ケア作者: 木村 敏,村上 靖彦,宮本 省三,河本 英夫,西村 ユミ,松葉 祥一,熊谷晋一郎,綾屋紗月出版社/メーカー: 青土社発売日: 2010/09/27メディア: ムック購入: 3人 クリック: 19回…

論じる過程自体が肉であること

いちど「ひきこもり」という身分に囲われてしまったら、もう医師や学者とは言説の階層が違ってしまう。逆にいうと、医師や学者という肩書きで語るかぎり、オブジェクト・レベルの関係性は不問にされてしまう(そこに言及するとむしろマナー違反とされる)。 …

主観性と関係性

周囲が信仰者で占められていたら、自分も同じ信仰を持ったふりをしないと参加できない。 ひきこもり問題において、意識と参加のマネジメントが総合的に問われている*1。 すでに参加を持続させている人が、意識と関係性を問い直すこともせず「集団なんて要ら…

正義 と 臨床

『アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)』 『千のプラトー 上 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)』 副題にある「資本主義と分裂症」という言葉は、 法哲学・政治思想と精神病理学は、同時に考えざるを得ない 正義と臨床は同じ事業 そういう話…

止めること と 動かすこと (メモ)

《正しさ》の多くは、主観的にも集団的にも、静止画像として求められる。 科学であるために満たすべき要請と、臨床過程であるために満たすべき要請は両立できない。 スタティックに焼きつける科学*1は、「動きを止める」努力にあたる。 しかし臨床過程は、む…