2017-01-01から1年間の記事一覧

当事者性をともなった研究の核心的テーマとしての党派性

党派性というのは、「なろうと思って」なる、という意識的な選択だけのものではない。「いつの間にかそうなっていた」でもある。その党派的傾向性を逸脱するときにも、「わざと悪意で」というより、「なぜかそうなってしまう」がある。*1 ある形で党派性を生…

カフカの門番の口にする「オープンダイアローグ」

フランツ・カフカ『道理の前で』(大久保ゆう・訳) ここに出てくる門番は、世の中の道理≒掟(おきて)を前にした男を脅しつけ、 自分がその《道理》を守っている、というのですが 斎藤環氏は、ご自分をこの門番のようなものだと思っているようです。*1 ――世の…

知性が党派的傾向性を必要とすること

追い詰められているのは、われわれの方ではない。奴らの方が追い詰められているのである。ゆえに、問題はいまや奴らに勝てるかどうかではない。すでに勝利は確定している。真の問題は、この勝利からどれだけ多くのものを引き出せるのか、ということにほかな…

技法論的な「厳密さ」

数学者・黒木玄氏のツイートより: @genkuroki / #数楽 数学者が書いた教科書に数学的に厳密な証明が書いてあ... @genkuroki / #数楽 しかし、へたをするとテキトーなことを言っていると思... 人間の生は、「論理的・数学的に厳密に証明できること」だけで出…

《規範から技法へ》という大きなテーマ

私の取り組みは、入り口としては引きこもりや不登校の問題だったのですがたどり着いたモチーフは、《規範から技法へ》ということになります。 不登校やひきこもりのほかに、差別や虐待の問題でもそうですが「〜するべきではない」と語られがちなテーマは、 …

追い詰められると、問題意識こそが孤立する

順応できなくなると、それだけで頭が一杯になり、他のことが出来なくなる。 そこで、自分で自分の事情を引き受け、やり直さざるを得ない。 自分なりの技法を開発することでしか、しのげない。 私は何とか、技法を開発してきた。それは、問題意識じたいをやり…

「聞き書き」と、生身の関係の技法

king-biscuit 【聞き書きは、なぜ「難しい」ものになってしまったのか : 「聞き書き」という手法の本来的可能性についての一考察】【CiNii】 私はこれまで、 学術言語 ⇔ 身体的に立ち上がってくる分析 上から見下すような「調査」の目線 ⇔ 実際に生きられる…

「人格と作品は切り離せない」は、《技法≒生産様式》の問題

「人格と作品は分けられない」という話をするときに私が何より考えているのは、 人格はそれ自体が一定のスタイルを伴った制作過程であり、また作品そのものである ということです。だからそもそも、「人格と作品を分けられる」という発想自体があり得ません…

ひとまず、途方に暮れることで出発点に立つしかない。

左翼リベラルの醜態は、「向こう岸」ではないわけで。 左派の酷さは、立場の弱い人を直撃します。 名詞形《当事者》概念の周辺は、唖然とするほど悲惨です。 その言葉を当たり前のように使う人たちの問題意識を変える必要があるものの、簡単な説得法などあり…