2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧
メタな認識内容を目指すというより、《素材化》という別の取り組みを提示している。 メタな認識内容(結果物)で貢献するのではなく、作業そのものを別のかたちで提案している。 臨床家や社会学者は「仲間が大事だ」というが、コミュニティ(つながり)の作…
悪意や紛争にはパターンがあり、制度化されている。 法学は、その一部を分類・整理している。 紛争の生成過程に、制度化の創造的プロセスがあるか。 紛争はイデオロギー的とはいえ、それを語る私が制度性の外部にいられるわけではない。
私はこれを、《社会参加の臨床》というモチーフで考えているのではないか…。 何をもって「社会参加に成功した」と見なすか 苦痛緩和に有益なことは何か という議題設定なしに、専門性だけを強調するのは、順応主義の誇示にすぎない。それは「社会参加の臨床…
私には世界中の美術作品、あるいは美術史そのものが、一種の制度分析あるいは各作家の歴史や環境との交渉過程のlogに見えて来ます。このlogという言い方は濱野智史さんの議論とも絡むものです。 (略) 私の作品は、キャンバスや絵の具といったマテリアルあ…
もっと枠組みをゆるめてしまう、つまり私が把握できている程度に上山さんのお考えを単純化してしまえば、私には世界中の美術作品、あるいは美術史そのものが、一種の制度分析あるいは各作家の歴史や環境との交渉過程の log に見えて来ます。 このlogという言…
『社会に復帰し続ける、その参加の制作過程』という箇所、ことに『復帰し続ける』という表現に、上山さんのお考えのユニーク性が感じ取れます。 こういうディテールに気づいてくださるのが、本当にうれしいです。 (このあたりの話は、本当に全く通じないの…
今回、上山さんに頂いたメールが重要な内容であると感じています。 頂いたメールで 「何が受け入れられ、何が排除されるのか」というのは、とても政治的で、その判断のあり方について、分析が必要です。――分析の結果がいいか悪いかの前に、「分析してもかま…
文脈は違いますが、ひきこもる人が社会参加しようとするとき、なぜか「分別もあり、批判も試みる大人」としてではなく、「純真で疑いを持たない子ども」のような社会復帰を望まれる、そういう抑圧を常に感じるのですが、「社会に入っておいで」と待ち受ける…
『「制作過程やインフラを問題にする」ような努力が、多くの人を怒らせることそのものです。』というご忠告・ご指摘は、とても真剣に受け取りました。 今後十分にありうると思います。 また、私たちの間にもこういった問題は起こりうる。 私が再三「応用では…
日程の最中にもかかわらず、真摯なメールをありがとうございます。 「敬称のつけ忘れ」は私もよくやらかして、お詫びメールを出していますので、お気遣いなく。・・・・気になるのは、むしろ私や永瀬さんがしているような、「制作過程やインフラを問題にする…
(フリーペーパーの)永瀬さんと上田さんのご論考も読ませていただきました。詳細は控えますが、「基盤を考えたい/その考察が基盤として機能してほしい」という永瀬さんの取り組みに、強く共鳴しています。 拙論について、的確なご説明をいただきました。 …
画家・永瀬恭一氏とのメールでのやり取り(一部)を、許可を得て以下に転載いたします。 公開を前提としたものではなかったのですが、お互いの関係や発言趣旨の素材化を試みるもので、ブログへの転載は、積極的な趣旨をもった活動にあたります。(私は永瀬氏…
「組立」に取り組まれてきた画家・永瀬恭一氏が、先日終了した展覧会のフリーペーパーに掲載いただいた拙文(参照)について、説明をくださっています。 私の力不足もあって、美術の展覧会のフリーペーパーに「ひきこもり」の話が掲載されていることが腑に落…
リオタール『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))』が「正当化のありかた」を論じる趣旨は、以前の私は、「大きな物語/小さな物語」という枠でしか見れなかった。 しかし、「小さな物語しかない」というこの発想じたいが、「物…
精神保健の専門性において、《制度順応》が自己言及的な研究焦点になっていないのは異様すぎる。 専門家を養成するプログラムじたいが、ベタな順応主義を要求している。 とはいえ逆にいうと、「創造性を発揮すると、仕事をしたとは見なされない」ポジション…
「べてるに学ぶ――《おりていく》生き方」(2004年11月5日、東京大学医学部・鉄門講堂でのシンポ) 上野千鶴子の授業「ケアの社会学」(上記シンポの動画と、報告論集のPDFがある) 「おりていく生き方」では、自分という結果物が「おりて」いく。 しかし必要…