2007-01-01から1年間の記事一覧

【参照】: 反精神医学(Antipsychiatry)に関連して

ロナルド・D・レイン『ひき裂かれた自己』についての、中井久夫の解説より(『精神医学の名著50』p.277)。 強調は引用者。 精神科患者は、ともすれば、忘れられがちな存在である。他から見れば忘れたい存在であり、社会経済的には手抜きにされやすい存在で…

「精神医学が臨床的に有害というのはよく分からない話」(井出さん)

上山さんの今回のエントリで最も不思議に思うのは、援助の重要な一端を担い、また、臨床的にも制度的にも必要とされている精神医学を「臨床的に有害」と述べている不思議さである。実際に精神医学は臨床的に有効である。また、社会の中で必要とされている。 …

「二、三年心理療法受けたら治るんじゃね?」(hotsumaさん)

上山さんは(精神科医ともそもそするのに必要なせいか)人格障害概念を時々参照しているようだけど、その定型的治療としての心理療法、それを生業とする心理療法家の存在にはあまり関心がないようだ。 心理療法、と素っ気なく書かれていますが、これだけ百家争…

“専門性”の踏襲と、分析の維持

少し時間が経ってしまいましたが、先日の「カテゴリー化」に頂いたレスポンスについて。 「二、三年心理療法受けたら治るんじゃね?」(hotsumaさん) 「精神医学が臨床的に有害というのはよく分からない話」(井出さん) 私が問題にしていたのは、既存の専…

雑誌『ビッグイシュー』 第85号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『作業場の苦しみ』です。 こちらで扱った斎藤批判を、いよいよ往復書簡で開始しました。 どういう展開になるかまだ分かりませんが、このモチーフはブログと連動しながら、これから時…

プロセスの危機を忘却すること――静態的「カテゴリー化」

ここで補助的に、上記座談会の参加者もコメントしている以下の2エントリーを参照する。 「ひきこもりの半数は精神薬理学的治療を試みるべき病態である。」 「ひきこもりと人格障害の関係。」(いずれも『hotsumaのURLメモ。』) 「半数は精神薬理学的治療を…

『ひきこもりの社会学』 座談会について 3

【その2からのつづき】 「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) 今回の座談会は、自分の居る場所で自分がどのように組織され関係を維持しているかを分析しない3人が*1、静態的な観察対象と…

課題: 労働過程の臨床

macska: いま現にひきこもっている人がいて、そこから離脱するのが難しくて「治す」方法も確立されていないのは仕方がないとして、せめて本人の心の準備ができれば復帰できるような社会の側の準備はしておきたいですね。 chiki: そうですね。そのために、…

社会学の事業遂行と、『論点ひきこもり』

この座談会は「ひきこもりのリアル」と題されているが、読者は一定の社会学的知見を得るだけで、「ひきこもりのリアルを語れるようになった」というナルシシズムにひたるだろうか。ここでは「リアル」という呼び水と語られた内容がイマジネール(想像的)に…

『ひきこもりの社会学』 座談会について 2

【その1からのつづき】 「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG)

「あなた自身は、どう構成されているの?」

ここのところで、日本の知的言説はどうやらシフトチェンジに失敗している。70年代の情念的左翼主義から、80年代以降のお気軽なポストモダンへ。近年の左翼言説が、きわめてベタな教条的情念主義や脅迫主義に堕しているのは(参照)、80年代から続く「…

論者自身の、当事者的論点化

「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) 書籍を含め、全文を通読されることをお勧めする。細かいデータや社会学的知見が参考になるし、仮にそれが誤っているとしても*1、その検証作業がまた…

「分析が欠けている」

「差別される可能性のある人は、場合によっては過去や属性を隠して生きる必要が出てくる」*1と言ったら、左翼系の男性から悪く言われた。 「そんなのは間違ってる。何でも言える社会でなければ」。 理念としてはそうだと思う。 でもその人は、差別とは違う問…

雑誌『ビッグイシュー』 第83号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『「誰がその問題を論じるのか」』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 ▼…

映画『素晴らしき哉、人生!』*1

1946年、60年以上前の映画。 【以下、ネタバレ注意】

はてなスターについて

タイミングを見出せず、黙ったままでしたが、「はてなスター」を表示しない形にしました。 付けてくださった一つ一つの星印については、お名前は挙げませんが、もちろんとても励みになりました。(ありがとうございました。) 今は、というかこれからは、自…

「古橋悌二・12年目のメッセージ -How are you?-」

「上映会」とあるので、おそらく映像のみでしょう。 ひとまず情報として。 私はこの 「S/N」 という作品を、古橋悌二氏が亡くなった直後の京都公演で観ました。彼の出演部分には誰もいない舞台にスポットライトが当たり、映像での出演部分ではほかの出演者が発…

ラジオ番組の書籍化

文化系トークラジオLife作者: 津田大介,斎藤哲也,柳瀬博一,佐々木敦,仲俣暁生,森山裕之,鈴木謙介出版社/メーカー: 本の雑誌社発売日: 2007/11/08メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 100回この商品を含むブログ (96件) を見るこちらの番組…

「ガチで数年引き篭もった事のある奴しかわからない経験」(日刊スレッドガイド)

「はてブ」を見ると、共感者がたくさん・・・。

「引きこもり--『治す』から『交渉する』へ」

11月10日、草津商工会議所にお邪魔してきました。

雑誌『ビッグイシュー』 第82号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は斎藤さんで、『「告発」のパラドックス?』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 …

ご無沙汰しております。 オフラインでいろいろ立て込んでおります。

ベタに模倣するのではなく、分析労働としての自己構成

「やりたいということはやらせてみる」(p.154)など、斎藤の方針には、ひきこもる本人をどこか特権的に、「いたわりの対象」として扱う姿勢が見られる。これはまず、ご家族と本人の議論では、強い立場に立つ親が一方的にまくしたてることになり、「議論」と…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 4

【その1】、 【その2】、 【その3】

「プロセスとしての危機」を主題化する必要

今回の一連の批判は、《表象 representation》 に分析を加える斎藤環のやり方に対し、徹底して 《プロセス》 に照準した問題意識や実践案をぶつけている。 ありていに言えば、表象分析という斎藤のスタイルは、臨床的にかえって苦痛を大きくする側面をもつ*1…

斎藤環 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 について 3

【その1】、 【その2】、 【その4】

「順応済みの主体」によるポジション・トークではなく

社会は、既存の承認された欲望スタイルしか、私たちに提示しない。しかし、取り組む道はそれだけではない。何かが着手されるときの「関与の手続き」にこそ、主体が成り立つプロセスの、危機の政治が賭けられている*1。 斎藤の議論は、ここで「譲歩するな」と…

「欲望フレームへのせき立て」ではなく、「フレーム自体を作業場にする」必要がある。

本書の斎藤は、親御さんへのアドバイスとして、「安心してひきこもれる環境作りを」 「まず害をなさない」 「やりたいということはやらせてみる」という。 これは、いくら説得してもどうしても〈説教〉を始めてしまうご家族に対してはぜひとも必要なガイドラ…