2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

不確実さと権力

ものすごく参考になりました。 関連することをもう少し勉強したいし、これから何度も立ち返って考えたいのですが、とりあえずメモとして(以下、強調は引用者)。 ある人が意思決定をしなければならない場合というのは、結果の不確実性がある場合です。もし…

社会に継続的に参加できるとは、継続的に振るえる権力を維持できるということ。

「仲良くなる」ことが目的なのではなくて、権力の担い手として仕事を維持できるようになること。 自分の正しさを当たり前だと思っている人は、みずからが暴力の担い手になっていることに気づかない。 100%正しいことにされてしまった暴力は、暴力と呼ば…

逸脱した人間どうしの関係性は、剥き出しのヒリヒリ同士になる。

制度に守られていないから。 そして、社会順応している人からは、簡単に見下されてしまう*1。 関係性を築こうとするときは、いつの間にか信じ込んでいる「関係性のパターン」を、お互いに呼び出して押し付け合っている。 関係性について考えれば考えるほど、…

権力として構成される自分の声を分析する、というのは、フロイト的自己分析の変奏といえる。

「複数の声の中で、自分の声をはっきりさせる」ことは、政治の問題であるとともに、臨床の問題だ。 周囲には複数の声があって、私は自分をどうまとめ上げればいいかが分からなくなる(去勢のフレーム問題)。 自分は、関係の中に与えられている。だから集団…

「階級をときほぐす言語をなぜ持っていないの?」(田中泯)

自分の声でもういちど組み直す、というのは、臨床上どうしても必要なプロセスで、それは「ケア」とも違う。根拠づけの方法を失った現代の私たちは、放っておくと極端に硬直するかインフレを起こすかなので*1、つくるプロセスとして自分をまとめねばならない…

「関係をチェックする仕組み」についても、民主主義のような「必要性と不可能性」がある。

一人ひとりが芸術家として自己成型し、「自分自身が「関係をチェックする仕組み」になろう」と試みることしかできないのではないかと私は悲観している。(重森さん) チェックする仕組み自身がチェックされねばならず、無限後退してしまう。 しかしとはいえ…

複数の声――政治と臨床

重森誠仁(id:Z99)さんから、「関係をチェックする仕組みの必要性とその不可能性」というレスポンスをいただきました。 ありがとうございます。 以下はお返事というより、取り組むべきことを煮詰めようとする関連メモです。

memo

自分の権力への分析がない。だから法や民主主義の必要を訴えただけで「暴力的だ」などとささやかれる。さんざん暴力的な人たちから。 ろくに権力を持たない者が「自分の権力の分析」ばかりしていて、必要な権力については拙劣そのもの。ルサンチマンと内弁慶…

DSM-V や ICD-11 に向けた動き

以下の二冊にある加藤敏(かとう・さとし)氏の論考が、とても参考になる。 『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』 『精神医学の方位―松下正明先生古稀記念論文集』 参照:「ICD-11への改訂に関する情報」(標準病名マスター作業班)

シンポ「当事者主権によるニーズ中心の福祉社会に向けて」聴講

登壇者 上野千鶴子 立岩真也 中西正司 感想 三氏の肉声を聞けたことが、自分の中をこなすのに好影響だった。 「当事者」と銘打たれているが、すでに確立された「権力のふるいかた」について、あとはどれだけそれを拡充させるかという話がなされているだけで…

イデオロギー的労務共有によって、ナルシシズムが共有される。

「精神疾患の患者を受け入れる」のは、単に規範の話をすればいいのではなくて、Social Work を引き受けろ、という労働命令になっている。 歓待規範による左翼コミュニティは、お互いへの労働命令でつながっている。全体主義的命令である歓待規範は、ぜったい…

野生の関係

「社会参加と暴力」(ishikawa-kzさん)へのコメントより: Z99 様々な集団にあてはまると思う。「不健康なコミュニケーション」に対して異議申し立てできる仕組みを集団に組み込めたらいいのにと強く思う。職場組織という言説空間の健康度をチェックする監…

石川和広(ishikawa-kz)さんが、先日のエントリーに長文のレスポンスを下さいました。ありがとうございます。 http://d.hatena.ne.jp/ishikawa-kz/20091122/1258894067 すぐにお返事するというより、リンク先や参考文献も含め、ここにお書きくださったこと…

代謝というチャレンジの、環境と技法

画家・永瀬恭一氏(強調は引用者): 分節のない混沌(自然)の中に、自立した系を仮構して、その系が常に周囲の混沌(自然)と一定のやりとりをしながら代謝していくこと、つまり生物というものの最も基本的な(ゾウリムシとかボルボックスとか)姿に「芸術…

未来の設計図を提案することと、日常的な関係を素材化する営みは、なにも矛盾しないはず。 私たちは時間的に生きて、なまなましい関係を生きるしかないのだから。 情報環境や意思決定の技術がいくら進んでも、身近な仲良し関係は前近代的なままじゃないか。 …

John Maynard Keynes “The General Theory of Employment, Interest and Money” 「Chapter 24. Concluding Notes on the Social Philosophy towards which the General Theory might Lead」 At the present moment people are unusually expectant of a more…

臨床上の技法論としての、「身近な民主主義」

ひきこもる人たちは、コミュニティでの人間関係は下手だが、選挙での投票率は高いといわれている*1。 つまり、《お祭りとしての意思決定》には比較的参加しやすいが、あいまいに持続して息継ぎの場所もよく分からない《日常の意思決定の関係性》が、できない…

共同体とコスト

お笑いの大御所は、それぞれがコミュニティの支え手に見える。 たけし、タモリなど、お一人おひとりの周囲に “ファミリー” らしきつながりがあって、あるファミリーに馴染みそうな人は、別のファミリーには馴染みにくいように見える。 ▼同じ番組に出られる関…

利権団体としての部分社会

孤立は、心理の問題であると同時に、危機管理の問題。 社会的に孤立するのは、極めてあぶない。 いじめ・脅し・排除・差別など、どんな理不尽にも耐えなければならなくなる。 正義の実現には、集団的暴力が要る。 泣き寝入りと国家の間に、政治がある。 政治…

親密圏や中間集団の前近代性

システムと個人の関係においては、かえって搾取的でないことがある。 中間集団や親密圏においては、人格関係が生じるゆえにかえって前近代的(幼児性・埋め込み・搾取し放題)。 対価の発生する労働としてしか相手の時間を使わない――これは重要なことだ。 気…

データ的相関と、人格的抑圧

「調整するのは人格と人格ではなくデータとデータ」(参照)と主張する東浩紀氏は、しかし「人間関係」をもち、コミュニティらしきものを生きる。 対面の関係にはどうしても人格的縛りが生じる(たとえば通りすがりの人に道を聞くだけで、“気まずい” 時間が…

社会全体を見ての視点

1965年には1.6兆円だった社会保障給付費は、2006年で89.1兆円。 40年で50倍以上に増えている。 不況の影響で生活保護費がクローズアップされているが、増加の多くは年金と医療費であり、高齢化によるもの。 参照:「社会保障給付費の推移…

社会性のあり方――つながりとしての《非日常》

東浩紀:「日本では、知的議論はお祭りの形でしか機能しない」 「バラバラに営まれている祭り=ミドルマンを、直列につなげることで状況を変えていく、それが雑誌『思想地図』」 社会参加臨床の方針として、ひたすら《日常》に埋没させようとするのか。 むし…

正当化パターンへの嗜癖 →「嗜癖化した関係性やコミュニティ」

ギデンズ 『親密性の変容』 addiction をめぐる臨床的な考察がある ひきこもりは、「状態像への嗜癖」 「自分じしんがカルト」(斎藤環) データベースと、「私は私」という無反省な断定との往復(鈴木謙介)*1 自分を承認させるパターンを覚えると、ひたす…

《当事者》とは

法的・政治的な紛争当事者 / 利害関係者(stakeholder) 【参照:「当事者と利害関係者」(鈴木謙介)】 「蚊帳の外だった人たち」。 カテゴリーで identify する。 「サバルタン」? 視点の内在性 (「専門家」は、観察する外部視点) 支援運動やアカデミ…

「家族の契約化」

《脱制度化としての契約化と、(再)制度化としての契約化》 つまり、脱埋め込みとしての契約化と、再埋め込み(re-embedding)としての契約化 国際家族年のスローガン「Building the smallest democracy at the heart of society」は、「家族からはじまる小…

政策課題としての、「社会的包摂 Social Inclusion」

社会的排除の問題に取り組む者が社会的に排除される。 「不登校・ひきこもり問題をやって食えるんですか」 マクロな政策 / 地方(ジモト) / 中間集団(経営・コミュニティ) / 親密圏 「二者関係と集団関係は、つくり方が質的に異なっている」(貴戸理恵)

「The Personal is Political」(個人的なことは政治的なこと)

たとえばストーカー関連では、刑事的なトラブルが起こらないかぎり、あるいは長期にわたって繰り返し自宅前に来られたりしないかぎり、現状のストーカー規制法では対応できない。 だから警察は頼れないが、いちいち裁判を起こしていたのでは、残りの人生が裁…

中核的なテーマとしての、《コミュニティ=中間集団》

対人距離の三段階――(1)家族、恋人 (2)中間集団 (3)通りすがり ⇒対人恐怖は、(2)に出る。 人の集まりには、派閥がある。 支援には、必ず偏りがある。 コミュニティの形成――「結婚相手を選ぶように人の集まりを選ぶ」 「おカネだけでなく、関係性…

専門家や親が「やってあげる」 → 「本人がどうしていくか」

不登校問題は未成年者が中心であり、80年代以来、親世代が中心の取り組みだった。 2000年以降クローズアップされた「ひきこもり」では、すでに高年齢化が進んでいるが(平均年齢は30歳を超えた)、社会的能力の低さがネックともなり、政治的・経済的な自立…