2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

コミュニティ臨床と、「社会関係の再分配」

文化系トークラジオ『Life』 2009/08/16 「Life 政策審議会」 以前から発言に注目している樋口明彦氏が出ておられて、4時間ほどある podcast をすべて聴きました。 番組のテーマは、「私たちは、そもそも何を望んでいるのか。それを実現するには、どういう…

かりかりのトーストに、柔らかいバターを塗りつけるような

岡崎乾二郎氏の作品集『ZERO THUMBNAIL KENJIRO OKAZAKI』をめぐるエントリー: 「蜜と眼」(みつばちの箱) キャンバスはパンをトーストにするサイズに統一されていて、まるでバターを塗る行為から連鎖が生まれ作品に転じていく。これだけでわたしはお腹い…

コミュニティ臨床としての、リアルタイム民主制?

10月23日深夜の『朝まで生テレビ』(参照)と、それに続く議論(参照)が刺激的です。 《素材化=当事者化》が、コミュニティ臨床と意思決定の問題であることを確認しつつ、取り組まなければならない事業を考え直しています。 以下は簡単なメモ。 直接民…

ビデオ「ひきこもり脱出マニュアル 全3巻」(監修:斎藤環、2003年)

制作・著作・販売: 「PEエデュケーション」 【注文フォーム】 ある図書館でお借りして、視聴できました。 ひきこもり状況の再現ドラマのあと、斎藤環さんが細かく解説し、ご家族向けのアドバイスを提示するというもので、お話の内容そのものは、全国の講演…

適切な批評や創造は、臨床活動になる

永瀬恭一氏よりのレスポンス: 追記によって更に明瞭になっていると思うのですが、このエントリ自体が「制度分析」になっている −たとえば、端的に言って、「上山和樹という制度」の分析になっている。 私が素材化や当事者化と言っているのは、まさにそのこ…

永瀬恭一個展「ノートの終わり・ノートの始まり」

私が気になる絵は、たとえば中西夏之(参照)、高木紗恵子(参照)、岡崎乾二郎(参照)などで、何か神経症的な順応主義と反対の、そこでもう一度「やり直させてくれる」ような、かといってぞんざいではなく、必然性を探す緊張感があって、そのための応援を…

無記名的な*2素材としての自分

「暇すぎて死にそうなので>>4の半生でも聞こうと思う」(ニコニコVIP2ch) 【はてブ】 凝った筆名や実名ではなく、「4」「325」など、番号だけで「自分語り」がされていく。 本当に目指すべきはこっちだ。 2000年前後に「当事者本」が流行ったが、そうした本…

「概念創造のスタイルを変える」という臨床行為

*1「概念を創造する」といっても、すでにある生産態勢で「創造」したって、同じルーチンでしゃかりきになることでしかない。 本当に必要なのは、考える態勢そのものを変えることであり、嗜癖的な労働ルーチンを組み直すことだ。組み直すことが自己目的なので…

社会化の方針

私は、「もう一度考え直す」のが仕事だと思っている。 【当事者主義、制度分析】 彼らは、「できたことにしてしまう」のが仕事だと思っている。 【専門家主義、商品化】 一緒にやれるわけがない。 追記(10月03日) 私はここで、《分析的な再素材化》と、《…