2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

中間集団の問題が、なかったことにされている。

同じ人が同じ真面目な話をしているのに、ビートたけしの番組に出ていると、何か滑稽に見える。そこでたけし氏が果たす機能を、個人崇拝とは別のかたちで論じる必要がある。 《雰囲気=解釈グリッド》が、どう設計されるか*1。 「世界史の構造 (岩波現代文庫 …

京都にお邪魔していたのですが。 今日が転機になるかもしれないというこの感覚が少しでも形になることを祈りつつ。

「当事者」を、名詞形で言うのをやめませんか。

いちど孤立した人が居場所を作ろうとするとき、つながれたかどうかだけでなく、《どういうスタイルで繋がるか》が問われる*1。 しかし孤立する恐怖は、つながりそれ自体を強迫化する。 あるつながりを、そのスタイルを問わずに絶対化する。 《当事者ナショナ…

ブラジルの「フェリックス・ガタリ研究所」

『フレンチ・セオリー ―アメリカにおけるフランス現代思想 (.)』p.297 に、「ベロホリゾンテにはフェリックス・ガタリ研究所がある」という記述が。 ググってみると、以下の三ヶ所がストリートビューつきで出てきました。 【A】 【B】 【C】 関連して、『Gre…

社会参加の批評に、単なるメタはあり得ない

Togetter 「美術批評家が、なぜ村上隆については「口を噤んでしまう」のか?」、 水野亮(みずの・りょう)氏の tweet より*1: 俺は村上隆のやっていることは煎じ詰めれば「デュシャンの便器」と変わらないと思っている。つまりマガイモノ(便器)を本物(…

「fonction décisoire」――創発的な法?

ガタリの文章に登場する 《外的な法 loi extérieure / 内的な法 loi intérieure》 という対比(参照)は、 現在のラボルド病院で語られる 《décision / décisoire》 《モル的な法 Molar Law / 創発的な法 Emergent Law》*1 という対比と、 同じもののはずだ…

巻き込まれた制作過程

ひきこもることは、不潔恐怖や洗浄強迫で風呂に入れなくなることに似る(参照)。 「正しさ」への嗜癖的固着が、身動きをとれなくする。 同様に社会参加は、「自転車に乗ること」に喩えられる。 意識することが少ないほど、うまく乗れる。 ここでの 《洗う》…