2022-01-01から1年間の記事一覧

《当事者性の分析》こそ、徹底的に忌避されている。

自分の加担責任をつまびらかにされる恐怖。 それを回避するためにこそ「弱者を守るため」を口実にする。それを話題にしてる間は「私の加担責任」を問われずに済む(≒問うてはならない)という暗黙の恫喝が機能するから。 私が《技法》というテーマを核心にす…

当事者概念依存症

いわば、《当事者概念依存症》とでも呼ぶべきもの。適度に使われる限りはそれなりに有用な《当事者》概念だがそのあまりに強い刺激と "卑劣な有用さ" で使用をやめられなくなり、自分の都合が悪そうな場面では必ず頼ってしまう――それどころか、つねに連続的…

形式的禁止と、作家的な試行錯誤

とてもじゃないが引き受けられない現実の生をそれでも引き受けようとする、その特異的な誠実さが文学や哲学だから、作家がポリコレを口実にするのは最悪の欺瞞であり、幼稚。定型的な点数稼ぎ*1は言葉の誠実さではない、むしろ逆。いっぽうで、形式的禁止は…

難しいがこのあたりでやるしかない

www.nhk.jp観ながら考えてたのは、自分としては《技法》という考え方を人類史的に位置づける努力をするしかないんじゃないか、ということ。ひきこもり状態やアルコール依存への取り組みなどからどうしても必要になって私が析出したのは、《技法》という考え…

《当事者・運動体・アカデミズム》と解釈権の独占

「当事者」という概念のまわりを考えるうえで大事な点に触れた、雁琳氏の論稿。note.com いくつか引用してみる(強調は引用者)。 具体的にどのような中傷と差別的発言であったかについては聊(いささ)かも検討されていない 所謂(いわゆる)〈弱者男性論〉…