形式的禁止と、作家的な試行錯誤

とてもじゃないが引き受けられない現実の生をそれでも引き受けようとする、その特異的な誠実さが文学や哲学だから、作家がポリコレを口実にするのは最悪の欺瞞であり、幼稚。定型的な点数稼ぎ*1は言葉の誠実さではない、むしろ逆。

いっぽうで、形式的禁止は必ず必要だし、そもそも《言葉》は、どうあがいても形式的禁止を通じてしか生きられない。

実験の焦点がここにあるのは間違いない。



*1:それぞれの立場ごとにこれが観られる。宗教、ナショナリズム、個人崇拝など。たとえば脱構築や制度分析はその「定型的な点数稼ぎ」をこそ問題にしていたと思うのだが、その議論そのものがまた定型的な点数稼ぎに堕してゆく(権威崇拝とアリバイ作りにすぎない議論だらけになる)。つねにそれが繰り返される。