2005-01-01から1年間の記事一覧

ご挨拶

こんばんは。 もうすぐ今年も終わりですね。 いま、年内締め切りの原稿を書いております。 本年中は、いろいろありがとうございました。 来年も、よろしくお願い申し上げます。 どうか、良いお年を! 上山和樹

「大きな物語の喪失」等から、「話題がいちいちネタでしかあり得ない」というが、《苦痛》はネタではなくベタにマジである。 つまり何らかの形でその者が苦痛当事者であれば、というか《当事者》のみが、ネタではない。 ▼「何のために議論や行動をするの?」…

問いの不気味化

ある「問題」に関わろうとするときに、問いの設定の仕方を安易にしないこと。 安易な問いは、粗暴な答えをすでに含んでいる。 ▼当事者自身の側にも、安易な理解はある。

「リベラリズムと当事者運動」――当事者批評の問題

ある属性において苦しんでいる当事者は、その問題における抵抗運動が死活問題になっている。 だからその限りにおいて、自己の活動の相対化は(場合によっては)死を意味する。 ▼リベラリズムが「価値観の相対化」(自己絶対化の断念)を含むとして、「当事者…

メモより

「当事者とシステム設計」に関する友人の示唆からの連想。 ある女の人に振られた。彼女は申し訳なさそうにしている。でも、彼女が「申し訳なさそうにする」必要はない。振られた僕の苦しみと彼女の義務は関係ない。彼女の能動性は自由に維持されるべきであり…

 わかりにくい

事後性

トラブルに巻き込まれ――「巻き込まれ」という受動性が大事だと思う――怒りを感じるたびごとに、自分の価値観が明らかになる。 「自分は、こういうふうに考える人だったんだ」

利害当事者になれば、必ずトラブルに巻き込まれる。

ひきこもっている人は、《利害当事者》になりたくないから引きこもっているのではないか。 なのに、ひきこもっていることそのものによって、またしても《当事者》になってしまう。

「intéressé de désir」?

ふつうフランス現代思想では、「欲望の主体」と言うと思う(sujet de désir)。 「欲望の当事者」っていう言い方は変なのか。 ▼「当事者」は社会的に構成される。欲望も社会的に構成される。云々。 なんかこの辺で考えられることないですか。 フランス語では…

東浩紀=「欲望の当事者」?

id:sakstyleさん というよりも、斎藤が指摘し、東自身も認めているように、東の仕事とそれに対する他人の評価というのは、いつもそのことを巡って動いている 「結局東は何がしたいのか」 東浩紀氏は、「分析欲望の《当事者》」であり、彼のデリダ論は僕にと…

「当事者批評」――苦痛=欲望原因

苦痛を抱える《当事者》と、その存在を分析する《論者》の関係。 《当事者》にはリアルタイムの行動が必要になっているが、《論者》はメタにとどまれる。 メタにとどまる論者に対し、当事者はつねに苛立つ。【「労働者と資本家」、「クライアントと分析家」…

トークセッション「ゼロ年代の批評の地平」【東浩紀/北田暁大/斎藤環/山本一郎(切込隊長)】*1

id:bulletさん: セッションを通したテーマは「分析してそれでどうするのか」(東浩紀)。 どこにおいてもこの命題が閉塞感をともなって議論の場を覆うということを再確認。 id:shin777さん:「ちなみにこんな質問をしてみたかった」 「斉藤先生にうかがいま…

「リアルタイム・レスポンス」と、「スタティックな現状認識」との関係・・・。

社会学は、経済学のようには「問題解決」を求められないのだろうか。▼リアルタイムの反応を要求される現場的アクチュアリティと、社会学的な「コミットしなさ」の関係が興味深い。「コミットしない議論」*1であるがゆえの臨床的効果、もあるのではないか。 …

石川良子:「年末ですが。」

当事者にとって「ひきこもり」とはこれまで依拠していた価値観の書き換えを余儀なくされる経験であり、彼らは自己を語るための語彙として「ひきこもり」を取り入れることにより、いったん見失ってしまった人生の展望を再構築する過程にある人々ではないか。 …

 欲望と分析――動機付け

永冨奈津恵:『ひきこもり支援にとって都合がよかった「ニート」』

「社会とのギャップ」は、「埋める」ものではなく、「取り組む」ものではないか(有限の生の範囲内で、終わりようがない)。 「ひきこもり」は「入口」で、その周辺で自分の取り組みを模索する。 「治る」のではなくて、「自分の取り組みが始まる」。 順応と…

「非人間的」

一つはっきりした指針を得られたように思うので、備忘録的にメモしておく。 これはまだ最初の着手段階のメモ。 イベント「「人生にYesNo枕!」〜摂食障害・ひきこもり・ニートの人間関係学〜」で同席した際、樋口明彦氏がおっしゃっていたこと(大意): 僕…

核心部分――《自発性》と《交渉》

《自発性》をめぐる攻防に、教育・医療・労働などの、すべての掛け金があると思う。これは、はっきり政治的な問題だ。 自発性をめぐる意見のあり方に、その者の思想が端的に表れる。 ▼ひきこもり周辺で交わされている議論は、歴史的にはどのような位置づけに…

「就労しない自由」

講演の質問時間に、学校教員になることを志望している学生から、「ニート増加などが言われているが、教師としてどうすればよいか」という趣旨の質問があった。それへの斎藤環氏の返答。(大意) 「人間は就労しない自由もある」ことを、教育現場で伝える必要…

斎藤環氏の講演より(情報ピックアップ)

私のメモに基づくもので、もちろん発言者校閲はないし、文脈によって意味も変わってしまうので注意。【黒太字の「カギ括弧内」が斎藤氏の発言】 斎藤氏がブリーフ・セラピー(短期療法)*1を紹介していたのは意外。 「ひきこもりは、家族対応が50%以上。…

和歌山県田辺市――先駆的モデルケース?

17日が斎藤環氏の講演、夜に打ち上げ的な食事会。 18日は自助会と親の会にゲストとして参加。 両日とも、自分の原点を見つめなおすような時間(特に18日)。 ▼相談窓口担当の目良宣子氏をはじめ、「ひきこもり検討委員会」*1の皆さんの雰囲気が非常に印象的…

 原点と、《交渉》の自由

『論点ひきこもり』:「田中俊英さんインタビュー」

「淡路プラッツ」代表で、もう10年以上も引きこもりの訪問活動をされている田中さん。 ネット上や言論界には、ニートや引きこもりの実情をまったく知らないまま意見表明をしている人が多いですが、覚悟を決めて現場に関わっている方のお言葉は、本当に貴重で…

仁愛大学

13日に福井入り、14日に授業ゲスト出演(学部と大学院)。なんと記録的な豪雪でJRが運休、14日に帰れず、急遽もう一泊(宿をご用意いただいた)。このイレギュラーな宿泊も含め、きわめて実りの多い時間。▼お招きくださった三脇康生さん、お世話いただいた田…

 《交流》 と 《交渉》

最近、生活の管理の仕方が変わってきました。

『NAM生成』(太田出版) 柄谷行人×村上龍 p.69-70

柄谷氏の発言より。(強調は引用者) 不登校というのは、一種のボイコットだと思うんですよ。僕が二年ぐらい前に突然考えたのは、労働者の運動を生産点を中心に考えるから間違っているということです。労働者が生産点でストライキをすることは難しいのです。…