メモより

「当事者とシステム設計」に関する友人の示唆からの連想。

 ある女の人に振られた。彼女は申し訳なさそうにしている。でも、彼女が「申し訳なさそうにする」必要はない。振られた僕の苦しみと彼女の義務は関係ない。彼女の能動性は自由に維持されるべきであり、僕へのケアはそれとは別に存在するべき。

これは当事者批評の問題ではないか。