大きな物語の喪失」等から、「話題がいちいちネタでしかあり得ない」というが、《苦痛》はネタではなくベタにマジである。 つまり何らかの形でその者が苦痛当事者であれば、というか《当事者》のみが、ネタではない。 ▼「何のために議論や行動をするの?」というが、「楽になるから」であり、楽にならなければ価値はない。 ▼受動的な苦痛当事者は陳腐に苦しんでいるだけであり、その陳腐さが苦痛をいや増す。
「苦痛への従事」はすでに《仕事》であり、苦痛軽減はオリジナリティ以上の価値を持つ。 「オリジナリティ」は、本質的な苦痛軽減のプロセスにこそある。 ▼問題は、社会的公正さに照らしてのバランス調整。