未来の設計図を提案することと、日常的な関係を素材化する営みは、なにも矛盾しないはず。 私たちは時間的に生きて、なまなましい関係を生きるしかないのだから。 情報環境や意思決定の技術がいくら進んでも、身近な仲良し関係は前近代的なままじゃないか。


私は、《自分のことを語る》の作法を変えようとしている。 自分を実体化して「この自分はね・・・」ではなくて、自分を結節点とする状況を分節する。 それは責任を引き受けることであって、単にわめき散らすことではない。 ▼当事者ナルシシズムや、硬直したイデオロギー語りならたくさんいるが、自分の状態を素材化する人は本当に少ない*1


「トラブルになって、はじめて実態が明らかになった」――これが原理的重要さを持つ。
「最初からわかっている」ことはできなかった。
臨床的取り組みを含んだ関係性作りは、それを前提にしなければならない。


「関係性の再分配」(樋口明彦)は、関係づくりのための労務提供のことだと思う。
私は、そこで提供されるべき労務と、技法の詳細を論じている。



*1:この点に注目してくださったのは、hizzzさん(参照)や、永瀬恭一さん(参照)だ。