フランツ・カフカ『道理の前で』(大久保ゆう・訳)
ここに出てくる門番は、世の中の道理≒
自分がその《道理》を守っている、というのですが
斎藤環氏は、ご自分をこの門番のようなものだと思っているようです。*1
――世の中の道理がいかに恐ろしいものであるかを言って患者を脅し、言動をチェックする。この門番に嫌われれば、門の中(≒社会)には入れてもらえない。
斎藤氏は、門番であるご自分に反論を試みた私を、「社会に入れてやらない」と言ったわけです。――彼は本当に私を仕事の場から排除した。
私はこれに対して、
-
- 門の手前も社会なのだから、その場を含めて試行錯誤するしかない
- そもそも、門の内側とされる場所はそのままでいいのか
といった話をしたいのですが――そんな話を始めてしまえば、精神科医である斎藤環氏の特権性が奪われ、関係が対等になってしまいます。斎藤氏には、この関係への誘いが耐えられなかった。
その彼が口にする「オープンダイアローグ」。
門番のポジションにしがみつく人が、周囲に呼びかける《対話》とは。
*1:雑誌『ビッグイシュー』での往復書簡、特に第52号〜を参照。▼cf.【美術と臨床をめぐる対話・・・の《素材化》】