和樹と環のひきこもり社会論(1)

私は2006年(平成18年)から2008年にかけて、斎藤環氏との公開往復書簡を行ないました。『ビッグイシュー』という雑誌誌上でのことです。かなり好評も頂いたのですが、斎藤氏が私の問題意識に激怒し、一方的に降りられるという形で幕を閉じ――これをきっかけに、私は斎藤氏とその周辺から政治的に排除される形になります。

平成が終わり令和を迎えるにあたり、当時の原稿をここに公開します。

すでに10年以上がたち、掲載雑誌が売り切れるなどして編集部への経済的迷惑が小さいであろうことと、斎藤環氏側がこの往復書簡そのものを葬りたいと考えているようなので、私の方でサルベージしなければ「入手不能」で闇に消えてしまうでしょう。私としては自分の人生全体に関わるような大事な問題提起を行なった場であり、そのような顛末は受け入れられません。

また斎藤環氏が私の発言の何に怒ったのか、その怒りに正当性はあったのか――それを検証できる状態にしておくことには、公共的な意義があるはずです。ひきこもり問題の政策対応に大きな影響力をもつ人物が、なぜこうした形の問題意識を排除したのか。

できれば往復書簡の全体を記録したいのですが、さすがに権利上それは出来ないので、ここに掲載するのは私の原稿だけです。皆さんは、「こんなことを言っているなら、排除されても当然だ」と思われるでしょうか。

それでは、第1回目からどうぞ。





(1)【ひきこもりは自由の障害者?】 上山和樹

 私が今回の往復書簡で扱いたいのは、斎藤さんが対談でおっしゃった《自由を失う病》、あるいは《自由の障害者》という論点の妥当性と可能性に尽きます。「ひきこもり」に関するあらゆる争点がここで再整理できると感じますが、この新しい議論のテーブルそのものが火種であるとも言える。

 社会参加できなくても、身体や精神の病気や障害が原因なら「本人のせい」ではない。また失業やフリーターも、不況や社会構造に帰責できる。でも「ひきこもり」はどちらでもなく、障害を起こしているのが本人の《自由》そのものとしか言いようがないために、繰り返し本人の人格が侮辱されることになる。

 ひきこもりの業界では、「無理にでも社会復帰させるべきなのか、それとも永遠に待ち続けるべきなのか」という論争が一部でずっと続いていますが(斎藤さんはその当事者とされていますね)、これは不毛すぎる。実際には、「規範としては永遠に待ってもかまわないが、放置すれば家族もろとも追い詰められる」でしょう。ひきこもりには、社会保障がありません。

 問題の焦点が《障害》であって、しかもそれが《自由》という領域にあるなら、家族を含む「他者たちとの関係」を問い直すことは、単に知的・倫理的な要請ではなく、障害事情に内在的な、「臨床上の」要請ではないでしょうか。

 いや、これも不正確です。「臨床上の要請」から仕方なく「他者との関係」を考えるのは、むしろ本末転倒といえる。《自由》が問題の核心である以上、他者との関係こそが最上位の問題設定であり、「臨床的な」要請は二次的なものです。

 今回の往復書簡も、下手をすると「当事者が精神科医にお伺いを立てる」という構図にしか見えないでしょう。しかし、そのように考えることがすでに問題を取り違えていると思います。いやそもそも、《自由の障害》において、「専門性」とは何なのでしょうか。