排除の担い手による対話のススメ



斎藤環氏の新刊本を通読したのはもう10年ぶり以上になると思いますが、呆れてます。本書で説かれる役割固定云々は、彼が私を排斥することになった往復書簡で私が言っていたことではないですか。*1

その後、ほぼ同趣旨のことを美術家・岡崎乾二郎氏が斎藤環氏に対談で言っており、しかもそれをネット上で私が紹介しました。この紹介記事は私としてはかなり広く読まれ、臨床家や美術家からも反応を頂いたので、斎藤氏が知らなかったとは思いにくい*2――そういう経緯を丸ごと「なかったこと」にして、したり顔でオープンダイアローグを説くとは…。

本書には傍線やメモをたくさん書き込みましたが、斎藤氏の発言部分についてはほぼそれに尽きます。つまり、「他者を受け入れるべきと言うなら、2008年に上山和樹を粛清したのは何だったのか」。その後の彼の主張と重なるようなことを言っただけの私を政治的に潰しておいて、「他者を他者として」って、どういうこと? 往復書簡でご自分があからさまな激発(アクティング・アウト)をやらかした手前、そこで指摘された内容をその後の主軸にしているなどとは、プライドが邪魔して言えない?

2008年当時の私の主張は、当時参加させていただいたフランスのラボルド病院をめぐる企画ともつながっていたのですが――
本書『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―(新潮選書)』ではご丁寧に、そのラボルド病院への批判めいた箇所もあります*3。ここらへん、非常に政治屋的に見える。

斎藤環氏は、「わずかに反論しただけの上山和樹をなぜ排除したのか」についてまったく言語化しないまま、「他者を他者として認めるべきだ」とか言ってるわけです。



那覇潤氏については、以下の表明にかなり驚きました。

 ぼくは率直に言って、もう「共産主義的ではないコミュニズム」をどう構想するかということにしか、興味がないんです。(p.258)

彼の場合は読書案内でも「上から教え込む」ようなものではなく、ご自分の内的な作業にとって助けになる材料を見せている感じで、やはり本当に作業過程に苦しんでおられる様子で、私はこちらのスタンスをこそ共有したい。そしてそれは、岡崎乾二郎氏が斎藤環氏を批判した際の焦点だったわけです。


那覇氏の発言部分にも疑問はあるのですが――今はひとまずこれにて。



▼付記

本書を購入・通読するきっかけになったのは、以下の tweet でした。記して御礼申し上げます。
https://twitter.com/mamiananeko/status/1471788380308803587


*1:斎藤氏との間には他にトラブルがありませんので、彼が私を排斥した理由は、ここに全文を公開した文面に全てあるはずです。

*2:斎藤環氏は岡崎乾二郎氏をたいへん尊敬しているとのこと。その岡崎氏によるご自分への批判を、自分が排除した上山がまとめて話題になってるのに、気にならないってことがあり得るでしょうか。

*3:《フェリックス・ガタリが勤務していたラ・ボルド病院では、スタッフと患者の区別自体を取り払った完全な平等を追求しました。ただ、それによって目覚ましい治療効果が出たという話は聞きません》(『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―(新潮選書)』p.250)。本書には他にも精神分析についての怪しい解説がありますが――問題点の細かい指摘は、ぜひ専門の医師や関係者にお願いしたいです。斎藤環氏の言動に怒るかたには何人もお会いしてるのですが、なぜか皆さん、表舞台では何もおっしゃらない。結果的に、わずかに反論しただけの私が孤立することになっています。