2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「この建物はいったいなんでしょう」(ザイーガ)

マジですか・・・

当事者論と時間の関係

自己の論点化をできない人は、想像的なものだけを救済しようとする*1。 嘘をついて、「相手が自分をどう思っているか」を訂正することで手を打とうとする。 自分が何をやってしまったか、どんな心的態勢でいるか*2については反省・分析しない。 対人関係の努…

逸脱と制度化

ここには、次の二つのことが示されている。 第一に創造とは、先行する規範を逸脱することによって行われる。 「正しいこと」が自動的に強制されるような社会では、新しい創造が――アーキテクチャの創造者の予期しないかたちで――なされることはあり得ない。 だ…

交渉=仕事

ドゥルーズの対話集『記号と事件』は、原題を『Pourparlers』*1というが、これはフランス語で《交渉》という意味*2。 フランス語初級者の私には、この「pourparler」が、「pour(〜するために)*3」と、「parler(話す)*4」に分解できることがさらに興味深…

雑誌『ビッグイシュー』 第88号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『当事者という言葉』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 ▼ひきこもり問…

【追記】: 表象に閉じる斎藤環の「ブログ=デッサン」論

はてブコメントにて id:mn_kr さんよりご指摘のあった、斎藤環『メディアは存在しない』該当箇所を参照してみます*1(強調は引用者)。 ここで参照されるのは、赤間啓之氏による奇妙な著作『デッサンする身体』である。 (略) 赤間氏は、バルザックの短編『…

デッサンとしてのブログ?

この微妙な瞬間を考える上で重要なものに、素描=デッサンがあります。 デッサンとは、完成品へといたるプロセスであり、初期段階であり、たんに作品が完成する前の段階のことと考えられやすいですが、本当にそうでしょうか。 むしろデッサンとは作品の完成…

《制度が病む》という発想

「制度分析」「制度を使う」という発想は、そもそもドイツ第三帝国の占領に抵抗するレジスタンス運動に深くつながっている。 以下、強調は引用者*1。 フェルナン・ウリ(ジャン・ウリの兄)の「制度を使った教育学(pédagogie institutionnelle)」は、トス…

臨床的難解さ

『地域保健』 『精神科看護』 『臨床精神医学』 『看護学雑誌』 『教育と医学』に掲載された、「制度を使った精神療法(psychothérapie institutionnelle)」を解説した三脇康生の論考を読んだ(参照)。 そこで論じられている以下のようなモチーフは、その…

関連メモ

私を楽にした誰かの資質が、その人が社会から排除される理由になっていることがある。 トラブルを事柄どおりに説明すると、まったく通じない。 分かりやすく説明すると、相手の解釈図式に落とし込まれて「わかったこと」にされる。 いずれにせよ、説得は絶望…

単なる順応主義 → 叫ぶ順応主義の幼児性 → 制度分析の成熟

考えることが含意しているのは、社会契約への何がしかの留保なのである。それは、コミュニケーション能力の枯渇した先に、あるいは、コミュニケーション能力の手前にある。つまり、幼年期である。思考、すなわち、魂の最も高貴な場所であり、公共性そのもの…