「役割分析同士の出会い」の具体例

制度を使った精神療法」について、実際に滋賀の湖南病院で取り組まれたときの記録です*1。 看護職と福祉職のあいだの緊張関係と、そのやり取りに臨場感があります。(強調は引用者)

 湖南病院では2000年3月に新病棟が建設され、老人保健施設や社会復帰施設も併設されましたが、病院を中心としたリハビリテーションの普及という最大公約数的な理念しか見えてきませんでした。 (略)
 私が勤務するまでに、急性期病棟の拡充と開放病棟療養病棟化が行われていました。以前、保護室に入れられていた患者は、広くて明るい閉鎖病棟の廊下を普通に歩くようになりました。
 また、「療養病棟」と名づけられた病棟に、福祉系短大を卒業した福祉職の職員が勤務しはじめました。この職員は、病院ではメンタルケアワーカーと呼ばれていましたが、実質的には掃除など、いわゆる看護補助を行う職員と同じ職種として位置づけられていました。
 そのため、福祉職の職員が集団療法と患者の生活補助をめざしているのに対し、旧来の掃除を中心とした業務を行う職員との間で大きな意見のすれ違いが起きていました。さらに、このすれ違いには、看護職と福祉職の間の意見の相違も介在していました。つまり、看護職が福祉職の役割を看護補助ととらえてしまう傾向があったのです。
 「制度を使った方法論」の最大のポイントは、施設内のあらゆる制度(施設内で働くスタッフの肩書き役割、日常業務、行事内容など)を柔軟にしていくことによって、職種間の連携を突き詰めるということにあります。多くの職種がかかわる現場でチーム医療を実現させるためには、「制度を使う」発想をとり入れることが非常に有効であるといえるのです。
 そしてこのような連携は患者が療養する環境の一部になります。もちろん制度には患者の肩書きや役割、日常業務、行事内容が含まれています。患者が「制度を使った精神療法」に参画できたとき、本当の「制度を使った方法論」が始まるのだといってよいでしょう。 ここでは、いまだその準備段階を紹介するにとどめざるをえない状況ですが、まず湖南病院の看護と福祉職の間のコーディネートとして、以下のような試みを行いました。
 私はまず、看護管理職に意見を求めました。看護職の意見は、福祉職の職員に十分力を発揮させることができない環境を反省しつつも、福祉職の職員の病気に対する知識不足によって生じる危険性心配しているというものでした。
 次に、福祉職の職員1人1人に意見を求めました。その結果、彼らもやはり自分たちの病気に対する理解の浅さのために、思い切った参画ができていないと考えて居ることが明らかになりました。福祉職の職員も、看護職の新人研修や勉強会への参加はできたのですが、途中から注射や薬の話が多くなるために、ついていけなくなっていたのです。
 このため私は、病棟運営の責任者の看護課長、さらにその補助を行う主任2名と主任補佐1名にも参加してもらいながら、福祉職の職員を対象として勉強会を開催しました。始めたのは2001年3月からで、第2、第4金曜日を勉強会の日としました。
 この勉強会において、まず福祉職の職員と、「いままで働いてきて何を変えたいか」について話しあいました。そして4月からは、病棟で生活する患者の症例をとりあげながら病気の説明を行い、6月からは、福祉職の職員が担当する患者1人1人について、生活史を綿密に検討し、そのなかで病気の説明もくり返すということを行いました。
 その結果、8月には看護職も福祉職に信頼をもつようになり、集団療法と生活補助をメインにした活動を支えるべく、旧来の看護補助の職員とも話しあい、メンタルケアワーカーの役割を明確にしていきました。

職種に対する「視点の交換」

 上記の勉強会において得られた成果は、病棟内において看護補助と同等に位置づけられていた福祉職に対する既存の役割認識が改められ、福祉職の役割が新たに受け入れられたということです。
 福祉職の職員は、集団療法と受け持ち患者の生活補助に時間をさくことができるようになり、看護職員は、彼らの仕事のサポート役にまわるようになりました。その背景には「相手の考えがわからないために動きがとれない」という状態から脱し、お互いの仕事内容を想像することができるという安心感が形成されているということがあります。
 勉強会に、看護職と福祉職がともに参加することで、自分たちの職務内容を自己反省する機会が生まれました。看護職は勉強会を通じて、療養病棟を運営するために看護職として行うべき業務は管理的な側面が強い傾向があること、患者への生活援助的なかかわりは福祉職にゆだねざるをえない局面があること、1人1人の患者に対する情報交換を確実に行わなければならないことなどが明らかになっていったのです。そのことがあって初めて、福祉職への認識が改められたのでした。

業務・役割のあり方に対する「視点の交換」

 湖南病院では、栄養士にも積極的に精神療法に加わります。特に、アノレキシア*2の患者に対して、彼らが果たす役割は大きな力になります。もともと湖南病院では、患者とスタッフが毎日同じ昼食を食べますが、毎月1回、昼食の弁当を用意し、患者とスタッフがどこで食事をとってもよいとしています。
 最近、管理栄養士からの提案を受け、閉鎖病棟にも昼食にバイキング形式をとり入れました。その結果、患者が食べることに興味をもちはじめることや、スタッフとの距離がふだんと異なることで親近感が生じるといった予想どおりの反響がありました。
 これを制度論的にとらえる場合、単にこうした成果が現れたからよしとするのではなく、バイキングという行事にかかわるさまざまな職種の人間の間で生じる視点を総合的に見直してみることが大切です。つまり、バイキングにかかわった各職種がそれぞれの役割を振り返るとともに、他職種の役割についても合わせて想像力を働かせるということです。
 同時に、患者とともに食事をとるという日常行為について、たとえば看護職としてではなく、1人の個人として患者と接する自分を見つめ直す作業こそ重要でしょう。



役割意識と一体になったナルシシズムというのは、私たちの関係を非常に苦しくしている。 特に最近では不況もあり、「専門性」「資格」など、自分の役割意識への同一化で社会参加を果たそうとする意識が強くなっている。 いわゆる「天職」というのも、自分の一生を特定の役割と同一化させる強迫観念だが、人がお互いの関係の中でどんな役割を果たすのか、一生の間でどんな役を担って生きるのかは、どんどん変わっていいし、変えるべきだと思う。 それを無理やり固定しようとするところに、非常にキツイ問題やナルシシズムが発生する。 すべて広く、順応主義の問題といえると思う*3

    • 浅田彰氏による80年代の「スキゾ」ブームは、固定的な役割意識に同一化する「パラノ」を嗤いのめしたはずなのに、(その後の不況もあいまって)同一性への回帰を強めただけにも見える。 強調されるべきは、「スキゾ」ではなくその後に続く「分析」であり(参照)、その分析の出会いにこそ自由の試行錯誤がある。 バラバラになった個人が自分のナルシシズムを分析せず、みずからの同一性に固執するだけの状況は、コミュニケーション環境としては最悪だ。




*1:三脇康生 「制度論的看護のために (2)フランスの制度論とは何か」(『精神科看護』Vol.29,No.5、2002年5月、pp.60-62)より。 著者の三脇氏より、クリエイティブ・コモンズに則る形(著者の明示、非商用、改変禁止)での転載許可をいただきました。ありがとうございます。(「制度論」とあるところを、適宜「制度を使った」と直させていただきました。) ▼三脇氏は、現在は湖南病院には勤務されていません。

*2:拒食症(anorexia)

*3:専門性をないがしろにするということではない。むしろ、専門性のあり方自体を吟味し続けること。専門性を、安易にナルシシズムに落とし込まない(その吟味の場所を残す)こと。