制作過程としての制度分析

美術作品の実作者である、永瀬恭一氏(参照)より。

「美術批評家を参照した」から実作者に反応をいただけた、というより、ひきこもりそのものに関するこちらの思考を逆に「参照可能ではないか」と書いてくださったのが、本当にうれしいです。 (逆に言うと、「制作過程」に注目するモチーフについて、ひきこもり関係者側から全くレスポンスがない*1ことに、「道のりは遠い」という気持ちになっています。)
《自分のいる場所での分析》が、どんなジャンルにとっても決定的であり、とりわけそれが「創る」に関係すること。 そしてその「創る」が、臨床の硬直にこそ関わること。
ひきこもる状況自身を、硬直した《作品》の経過と捉えれば、それを生み出すプロセスの萎縮が、批評的=臨床的課題として検討できる。 真に適切な批評的介入は臨床的だし、逆に言うと、硬直に対する臨床的改善をもたらさない批評は、何かが間違っている。 批評的風通しを持たない臨床家*2は、「プロセスの硬直」に対して、臨床的に機能できない。





*1:おそらく、まったく誰にも理解されていない

*2:医学や心理学の “専門家” でしかない人たち