権力の内在的分析という、“臨床的” 課題

ジャン・ウリガタリが、教育や精神療法に関して「制度分析」と言っているのは、「権力の分析」であり、その分析を内在的に行うということだ。 ここに日本語での、「当事者」という文脈が関係する。 「当事者発言」は、権力の内在的分析にあたる*1
生活のミクロな場面にも権力は機能している、というフーコーの問題設定に、「そんなの当たり前だろうが」とバカにした人がいたが、権力分析は紛うかたなく “臨床的な” 課題だ。 分析されないままの権力の作動は、どうしようもなく人の心身をズタズタにする。 理不尽なトラブルを続発させる。





*1:弱者の不当な特権化でしかない「当事者発言」は、ナルシシズムの強化でしかない。 このナルシシズムが強化し合うところに、当事者共同体の暴力の場が醸成される。