2010-01-01から1年間の記事一覧

存在論的な《不安》

ハイデガー『存在と時間』の、以下の節より*1。 第40節 「現存在の際立った開示性としての不安という根本情状性」*2 第68節(b) 「情状性の時間性」*3 現存在はおのれ自身に直面してそこから頽落(たいらく)しつつ逃避するという言い方が了解されるために…

「そう考えるからおかしくなる」

ひきこもりについて、客観的なデータを挙げてあれこれ論じることは誰でもできる。しかし本当に問われているのは、努力するとなった時にどういう技法をもてばいいのかということ。努力を始めてしまった時点ですでに選択は終わっている、そのときすでに問題構…

科学でも詩でもなく、技法が要る

主観性の自己管理のあり方と、つながりのありかた つながりの実態が secret であること*1。 主観性の管理様式*2が決まってしまえば、つながり方の選択はすでに終わっている。 自分が抱える思考の必要を既存学問に閉じ込めることに成功した人たちは、自分で考…

お互いの巻き込まれを無視する「とりあえずやってみればいい」

自分の属する制度の分析はせず、「哲学者に制度は必要ない」と言うだけの丹生谷貴志(参照)と、「とりあえず働いてみればいいじゃん」という玄田有史は、関係に巻き込まれたあとにその場で考えなければならないことを無視している点で似ている。 生きる意味…

特異な論点設計こそが排除されている。

たとえば、分かりやすい猥談は許される。 ところが、「なぜセクシュアリティが問題になるのか」を考え直し始めると、旧来の論点*1で自分を正当化していた人たちは、気味の悪い話を始められたような不安を抱く。 「正しいか間違っているか」の検証のしかた*2…

「メタに立っているから発言してよい」のではない。

体験実態を素材化し、分節してみる――その生産スタイルをこそ呼びかけ、実演している。 論じる自分は、出発点ではオブジェクトレベルにある*1。 関係責任という意味での当事者性が問われるのであって、「○○当事者だから特権化される」ではない*2。 ひきこもり…

インテリごっこの奴隷根性

悪質さは、自分が実際に生きている関係性を黙殺するところにある。 メタ言説さえやれば、すでに生きられている関係実態は分析しなくてよいことになっている(それが大前提なのだ)。 「自分はこれをやっているのだから、あとは褒められて当然。知的生産様式…

「人間関係」は、それ自体として生産諸関係

意識そのものが労働過程であるなら、個人の社会化は、生きられた労働過程の社会化として語り得る。 現代の労働過程は、商品が売れたあとになって遡及的に「有意義だった」ことが確証される。 作ったものが売れなかった時には、「あのプロセスには意味がなか…

マルクス 「史的唯物論の定式」

マルクス『経済学批判 (岩波文庫 白 125-0)』(Kritik der Politischen Ökonomie,1859年)序言*1にある、「史的唯物論の定式」。 ドイツ語原文:「Vorwort」 Das allgemeine Resultat, das sich mir ergab und, einmal gewonnen, meinen Studien zum Leitfa…

映画 『インセプション』

観てよかった。 以下「作品批評」ではなく、考えたことをメモします(追記あり)。 【ネタバレ注意】 inception は、 組織・制度・活動などのはじまり、その始まりの創設 を意味するらしい(参照)。

《制度》という怖い話

知人との議論で、制度論がさらに進展したように思うので、備忘録的に記しておく。 支援対象者がひとり死んでいるのに、なんで「何もなかった」みたいになるのか。 既存の法では、責任追及できない。 いわば「犯人なき殺人」をこそ、制度分析は論じなければな…

言説の集団的なあり方は、つねに選択され続けている

お涙ちょうだい系の話を何より聞きたがる、それしか聞いていない人もいる。 しかしまさにそのメンタリティこそが、反復される苦痛のありかになっている。 「あなたがくり返してしまうその知的態度こそが苦痛の枠組みですよ」。 この意味での当事者的自覚と分…

主観性そのものが生産されていて、それには生産様式がある

マルクス『資本論』冒頭(参照): 資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は「商品の巨大な集まり」としてあらわれ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。 【ドイツ語原文】: Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Pr…

「平成20年度ひきこもりの実態調査結果について」(東京都)より

「ひきこもりのきっかけ(複数回答)」: (35歳以上)・ 職場不適応(47%)・ 人間関係の不信(33%)・ 病気(22%) (34歳以下)・ 不登校(53%)・ 人間関係の不信(42%)・ 職場不適応(13%) 常に登場する「職場不適応」「人間関係の不信」につい…

主観性の生産それ自体が、嗜癖の問題系にはまり込んでいる。 「主観性の生産にはこのようなスタイルがあり得る」という処方箋が、単なる科学とは別に必要。 科学は、「原因の孔」を見ずにすませる硬直したスタイルの一つにすぎない。 「無意味フォビア」と「…

文脈通り / 文脈づくり

作家が「作品」をつくると、批評の対象になる。 ところが命を削ってブログを書いても、批評はされない。 つまり、独立した事業とは見なされていない。 支援者で私にブログを続けるよう勧めるかたは、それを次のように見ている*1。 (1) 箱庭的な「精神療法…

医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想作者: 多賀茂,三脇康生出版社/メーカー: 京都大学学術出版会発売日: 2008/08/30メディア: 単行本購入: 14人 クリック: 429回この商品を含むブログ (80件) を見る今後、基礎文献の一つになることが予想…

原因なき世界での、意味への嗜癖

精神分析と現実界―フロイト/ラカンの根本問題作者: 立木康介出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2007/07/01メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 63回この商品を含むブログ (32件) を見る 傍線や付箋・書き込みだらけになった。 ひきこもりを論じるために、本…

当事者発言論としてのフランス現代思想

最近ようやく気付くようになったが、 20世紀のフランス思想は、《当事者発言》の推奨と、そのための原理的整備を延々とやっていたのではないか? ざっと思いつくだけでも、 ドゥルーズの《受動性》。 すでに生きている関係性から当事者的に立ち上がる思考。 …

自分の当事者性を棚上げしないでほしい。

先日ある地方で、《ひきこもり経験者》という枠でお招きいただいた講演会があった。 取材に来られていた新聞社のかた(Gさん)と、次のようなやり取りがあった。 上山: 今の私の活動趣旨は、それぞれの立場の方に《当事者発言》していただくことです。 たと…

《当事者》という語の流通の仕方には、問題が多すぎる。

逆にいうと、日本の思想的・運動的な現状を理解しようと思ったら、たとえば《当事者》という語の使われ方を分析するのが効率的だ*1。 明示的に登場しなくとも、この概念は私たちの議論と活動に、まちがったフレームを与え続けている。 *1:日本から《toujisha…

大野正和氏、逝去

過労死問題をされていた大野正和氏が、突然亡くなった*1。 http://bit.ly/bD6XCF http://ohmasakun.cocolog-nifty.com/blog/ 今年2月に出た氏の著書、『自己愛(わがまま)化する仕事―メランコからナルシスへ』「あとがき」より: やはり、制度や政策の議論が…

主観と集団

フランソワ・ドス『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』p.74 より*1: ジャン・ウリは、1960年に、エレーヌ・シェニョー、フランソワ・トスケィエス、ロジェ・ジャンティ――彼は1956年から1964年までサンタルバン精神科病院で働いた――といった精神科医、さらには…

責任と正義は、《私はいかに当事者化されるべきか》と書き直せる。

社会化は、当事者性を問われることであると同時に、新たな当事者化が生じることの抑圧になっている。 意識レベルですでに正しいことになっているモノや人を、もういちど《素材化=当事者化》できるか。 自由連想で精神的なものが分析されるように、“自由にな…

欲望を抱いた時点で、すでに選択は終わっている。

《当事者の話を聞きたい》――それがすでに間違っているかもしれない。 《良心的欲望》のかたちにおいて、すでに臨床的選択は終わっている*1。真剣に思いつめたスタイルは、本人の最も大事なナルシシズムを構成している。 「それが間違っている」と言われると…

「メタ言語はない Il n'y a pas de métalangage.」

無意識の影響を受けない発言や書き物はない、それゆえメタ言語は存在してはならない*1。 考えてみればこれは、当事者性を回避できる人などいない、ということ。 フロイト的な無意識論は、当事者性を独特の仕方で主題化している。 「他者についての語らいのな…

「当事者発言 vs メタ言説」という括りの貧しさ

ここ十数年、僕の考えだと1995年以降、論壇の社会学化と心理学化が急速に進みました。その結果、政治について語ることが、当事者性を強調した単純な言葉で埋め尽くされている。二言目には具体的な実効性を、と問われてしまう。 しかし、政治とは、そもそ…

「あなたのことが問題になっている」 1

以下は、これから時間をかけて取り組まねばならないことのメモ。 今のところ、こうした議論の文脈がないため、孤立した問題意識は息も絶え絶えの状態にある。しかしこのわずかに気付かれつつある苦悶は、その避けがたい必然性で繰り返し取り上げざるを得ない…

社会参加の臨床と批評

『美術手帖』2001年2月号(第800号)掲載の以下を通読。 《原宿フラット全記録》(浅田彰×岡崎乾二郎×椹木野衣×村上隆) 作品をつくること、それが社会的にどう評価されるかをめぐる議論だが、ほぼそのまま「人の社会参加」をめぐる論争と読めた。 晩年のフ…

西山雄二氏: 「【報告】神戸市外国語大学(丹生谷貴志、村田邦夫、村上信一郎)」 哲学研究者のキャリア養成のためには制度はたしかに必要ではあるが、キャリアの安心に全面的な救いを求めるならば哲学は滅びるべきだろう。本来的には「哲学者」に制度は必…