主観性そのものが生産されていて、それには生産様式がある

マルクス資本論』冒頭(参照):

 資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は「商品の巨大な集まり」としてあらわれ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。
ドイツ語原文】: Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform.

私たち一人ひとりの主観性は、くり返される社会的行為の要素であり、
その形態は社会的行為のあり方と切っても切れない。


持続的主観性はそれ自体が「時間軸をもった生産物」であり、
ある生産様式が持続・反復されている。


この反復から逸脱すると、社会的行為そのものから逸脱してしまう。


主観性の生産様式は、関係性の再生産様式そのもの。――《つながりかた》の話とはこれのこと。