言説の集団的なあり方は、つねに選択され続けている

  • お涙ちょうだい系の話を何より聞きたがる、それしか聞いていない人もいる。 しかしまさにそのメンタリティこそが、反復される苦痛のありかになっている。 「あなたがくり返してしまうその知的態度こそが苦痛の枠組みですよ」。 この意味での当事者的自覚と分析が要る。
  • 単なるメタ言説は、自分の当事者性を排除するベタなナルシシズム。 メタ言説のインテリ競争は、そのようなやり方でしか社会化がなされない言説状況そのものが生み出す苦痛について考えられない。 考察しようとする態度が、苦痛を再生産する枠組みそのもの。
  • 社会科学に実存のよすがを見出し、そこに居直った人たちは、自分のことを話すというだけで過剰に勿体ぶる。 自分は問題事情の結節点でしかないのに。
  • 自分の政治イデオロギーを相手が受け入れるかどうかしか聞いてない人は、立っている場所を自分のマチエールとしながら自力で考え直した言葉を、無条件にパージする。 結論が間違っているからではなく、「自分で考えたから」排除されることがある。