ひきこもりについて、客観的なデータを挙げてあれこれ論じることは誰でもできる。しかし本当に問われているのは、努力するとなった時にどういう技法をもてばいいのかということ。努力を始めてしまった時点ですでに選択は終わっている、そのときすでに問題構造は反復されてしまっている。努力そのものがはまり込む間違った道行き。一所懸命考えているがフレームを間違っているのでやればやるほどおかしくなる。
私は医師や学者を批判しているが、それはそのまま引きこもる本人たちの思考パターンを批判することでもある。なぜなら、両者に共通する虫のいいメタ思考が問題だから。
「ひきこもる人をどうにかしよう」という前に、そう考えているご自分の事情を解析してほしい。社会性という言葉で何を連想し、どういう生産様式を自分に強いているか。その解析作業をこそ、ひきこもる人が共有すべき。周囲も本人も、努力の前提に悪化のメカニズムがある。