親密圏という、公共的な課題

NHKラジオ第1引きこもっちゃダメですか?

2011年1月10日(月・祝) 午後2時05分〜午後3時55分

2時間近い生放送を Web からも聴けるとのことで、番組あてのメッセージも募集されています。
私の文章も、少しだけ読んでいただける予定です。

取材を通じて感じたこと

《語りの中心は精神科医が引き受け、悩む本人たちは観察対象》という構図に説得力がある限り、この問題は進展しないと思います*1。 といっても、マスコミや精神科医だけを責めるべきではなく、悩む側がよい展開を作れずにいる*2

語りそのものに構造的排除が見られるのは問題だとしても、「語らせろ」というなら、医師や学者と同じ舞台に立つことが求められます。 「文句を言うのは一人前だけど、やらせてみたら全くできない」ではダメだし、たいていは本人たちも、既存社会と同じ問題を反復しています*3


カギとなるのは、職場をふくむ《親密圏》だと思う*4

ひきこもりを論じるのに、よく「共依存」などの言葉が使われますが、ここで間違っているのは、「おかしいのは引きこもる人だけで、支援者や一般人はおかしくない」という前提です。本当に必要なのは、《親密圏はどうなっているか》という検討課題を万人が共有することで、ひきこもる人だけを攻撃すればよいのではないはず*5


「社会復帰」といっても、ひきこもる人も扶養をうけ、消費生活を送っているのですから、すでに社会のなかにいます。要はその実態がこじれていて、本人や周囲を苦しめる、それを環境ごと検証しなければならない、ということ。――その検証に、身分や肩書きは関係あるでしょうか? 医師や学者が関わるなら、その関与のしかたこそが検証されるべきだし、人が働く場所は、サステナブルな状況にあるでしょうか。 これは働き方を、もっといえば《社会性》のあり方を、一から考え直すことであるはずです*6

    • (1)ひきこもる人を “治療” する
    • (2)親密圏を、万人の検証課題にする

(1)と(2)は、まったく違う話です*7
私が番組内で読んでいただく予定の文章は、(2)の方向に、就労機会を模索することはできないだろうか、というものです。



余談

スタッフのかたや『京都ARU』の梅林さんとは、取材中に長時間の議論をご一緒しました。
あそこに斎藤環さんや池上正樹さんも合流して、ダダ漏れ的にぜんぶ流してしまえたら・・・!
現実には難しいですが、「レベルの高いブレイン・ストーミング」はどうしても必要です。



*1:精神科医には絶対に居ていただかなければなりませんが、期待すべき役割は、部分的なものであるはずです(鑑別診断、身体医学、薬理学、行政との関係調整など)。 《関係性それ自体》については、医師も当事者のお一人です。

*2:たとえば身体障碍なら、一生の問題であり、ご本人やご家族はそのつもりで取り組まれるのではないでしょうか。ところが引きこもりでは、「一生の問題」とはなかなか思えず、というか「一過性であってほしい」と皆が思っているため、頑張ろうとした時にどんな問題構造が露わになるのか、本腰で考える人が出てきません。 みんな通過点としか思ってないし、むしろ本気でやり始めると、「早く忘れて社会復帰しなさい」とか言われる。 そのため、医師やライターといった “専門家” ばかりが定着し、問題にアプローチする構造そのものが固着します。▼たとえば、問題構造を資本主義批判のイデオロギーに還元しても、大事な話は扱えません。この場合の「大事な話」とは、親密圏というテーマそれ自体です。

*3:しっかり論じようとしたとたん、権威主義的な学問言説になったり、陳腐な人生論になったり。 そして身近な関係性には、既存社会と同じようなトラブルが頻発します。

*4:筒井淳也氏『親密性の社会学―縮小する家族のゆくえ (SEKAISHISO SEMINAR)』では、親密性が職業上の正否に結びつくことが論じられています。 それは「利益に役立つ」という意味ばかりでなく、社会参加を維持するうえでも決定的であるはずです。 【引用】:「親密性とはここでは《複数の人間が互いの情報を共有しあっており、かつ一定の相互行為の蓄積がある状態》を指す」(同書p.11) ▼既存の社会生活では、この親密圏の作法が悪い意味で決められています。あるいはその作法は、「暗黙の前提」になっている。そのくせ、ひきこもりについてだけは土足で踏み込む。――必要なのは、「全員について考え直し、組み直す」ことです。

*5:逆に、ひきこもる人だけを肯定的に描いても意味がありません。 ひきこもりという極端な状態や、その「社会復帰」の難しさを通じて、親密圏というテーマそれ自体が露わになっています。

*6:この問いは、本当に大きな抵抗に遭います。みんなそのことだけは問うてほしくない――そういうあり方を、ひきこもる本人も共有しています。

*7:「似て非なるものは最悪」という知人の言葉を思い出します。