職業倫理の都合が、ひきこもり生産様式になる

「医師であるかぎり、患者さんを批判できない」という役割固定が、考察を引きこもり生産に閉じ込める。考えれば考えるほど引きこもるマッチポンプであり、努力が引きこもる姿に一致する。医師のスタイルに引きこもるために、努力がひきこもり生産に固着される*1。 医師の信念が、医師の職業倫理を最悪のかたちで裏切っている。


ひきこもる人は、この思考スタイルをこそ真似てしまう。
「医師のように考える」からこそ、社会参加をマネジメントできない。


これは、医師だけの問題ではない。メタ言説と、主権を柔軟に生き直すこと――それを内側からどう組み直すか。反体制イデオロギーで自己確認を始めた人は、またそこで正当化の儀式を反復してしまう。


ひきこもり肯定は、一党独裁的に現代を批判したい人たちに都合がよい*2。食べ吐きを繰り返すように、政治イデオロギーの反芻でかろうじて自己を支える。嗜癖的な自己確認は*3、再構築の主権を放棄している――これはまさに、ひきこもる姿そのもの。



【1月31日追記】

生産様式については、「論じる自分じしん」が再検証の危機に晒される。
みずからがある生産様式を演じることを自覚しながら為す議論ゆえ、《ひきこもる生産様式》と、動詞形で示すべきか。
怒りのターゲットは、さまざまな形をしたメタ言説(の僭称)だ。 本当にやるべきことをないがしろにする居直り。



*1:資本制生産様式 kapitalistische Produktionsweise は、資本「主義」 Kapitalismus ではない(方法論を自覚しているわけではない)。 それが当たり前だと思ってやっているが、ある様式に固着し、それを反復する以外のあり方ができなくなっている。

*2:イデオロギー肯定のネタとして持ちだされるだけで、ひきこもるという行為のメカニズムが内在的に考察されることは金輪際ない。その意味で、医師が職業倫理に固着するのと同じ。左翼イデオロギーという職業儀式を反復しているだけ。 いわば、「左翼的生産様式」。

*3:自己肯定と自己否定をジェットコースターのように往復するとき、価値観は固着している。 「単なる肯定」と「単なる否定」に監禁されたまま。