大野正和氏、逝去

過労死問題をされていた大野正和氏が、突然亡くなった*1
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今年2月に出た氏の著書、『自己愛(わがまま)化する仕事―メランコからナルシスへ』「あとがき」より:

 やはり、制度や政策の議論が花盛りで、わたしのような「仕事の心」を扱う作品は、ますます肩身の狭い思いをしている。 (略)
 「ココロ系」と「シゴト系」は、なかなか相交わらないもどかしさがある。 精神科医は労働現場に疎いし、労務屋さんは心理的な問題に弱い。 過労死やうつ病にしても、両者が共同して課題の解決にあたればもっと心強いと思うのだが。 いかんせん、アカデミズムでの交流がほとんどない。
 そこで、しかたなく、わたしのような変わり者が冒険的な試みをするしかない。 どちらの側からもまともに相手にされないだろうと予測される。 むしろ、学際的な社会学者がもっとこういう分野を手がけてみてはどうか。 日本の学問世界の「棲み分け」は大変激しいようだ。 (略)
 最近「人と人とのつながり」を再評価する動きが出てきたが、研究者同士のつながりはどうなっていくのだろう。


ご本人のHP、ブログ


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【追記】

このエントリーは、私が大野正和氏の言動を手放しで賞賛していたことを意味しません。個人的にはむしろトラブルを抱えていたと言うほうが正確です。
誰かが亡くなると、生前のさまざまな関係を捨象し、極端に美化したり、逆に「死人に口なし」とばかりに中傷で終わることが多いですが、本当に必要なのは、何がどう生きられていたのか、ていねいに検証する作業のはずです。(この作業にこそ技法が要ります。)
誰かの死を、おのれのアリバイ作りに利用する人も現れる。死者を美化することが、自分の正当化になるわけです。こうした作業は、いっけん故人を悼むようで、実はおのれの分析拒否でしかないでしょう。



*1:すでに関係者にもお会いしており、ネット上の情報だけで書いているのではありません。