《当事者》という語の流通の仕方には、問題が多すぎる。

逆にいうと、日本の思想的・運動的な現状を理解しようと思ったら、たとえば《当事者》という語の使われ方を分析するのが効率的だ*1
明示的に登場しなくとも、この概念は私たちの議論と活動に、まちがったフレームを与え続けている。



*1:日本から《toujisha》という語を紹介する意義があると思う。 直訳して「party」「person concerned」などとしても、流通実態が違って見える。