特異な論点設計こそが排除されている。

たとえば、分かりやすい猥談は許される。 ところが、「なぜセクシュアリティが問題になるのか」を考え直し始めると、旧来の論点*1で自分を正当化していた人たちは、気味の悪い話を始められたような不安を抱く。
「正しいか間違っているか」の検証のしかた*2が、最初からボタンをかけ違っている。 ここで《不気味なもの》は、論点設計そのもののレベルにある。



*1:わかりやすい政治イデオロギー

*2:それこそが実存の制度だろう。 ▼「実存が嫌々したがう制度」ではなく、「実存それ自体が制度的に反復されている」という理解が何より重要。 学問や政治イデオロギーに居直って自分のメタ性を確保している人たちは、親密な関係性においてこそ自分の実存が制度化されていることに気づかない。