文脈通り / 文脈づくり

作家が「作品」をつくると、批評の対象になる。 ところが命を削ってブログを書いても、批評はされない。 つまり、独立した事業とは見なされていない。


支援者で私にブログを続けるよう勧めるかたは、それを次のように見ている*1

    • (1) 箱庭的な「精神療法」
    • (2) 方法論の宣伝をしてくれるので、都合がよい

ブログを勧めながらご自分ではやろうとせず、私がいくら心血を注いでも「それは無でしかない」という*2続けなさいという、しかしそれでは無だという――典型的なダブルバインド


要するに、私を使って (i)私的な承認願望を満たし、(ii)政治的な思惑を満たそうとしているにすぎない。 ネット上の患者の努力を、独立した活動とは認めていない(認めているなら、批評の対象になるはずだ)。


逆にいうと、美術であれ音楽であれ、「作家」として尊重され、経済活動が成り立つ人はほとんどいない。 ネットに文章を書いて「活動」と認められる人も、ほとんどいない。


膨大なエネルギーを使って何をしているのか、批評的な整理が要る。 過剰な自負も、過剰な卑下も間違っている。

    • それぞれの活動は、「美術」「文学」「日記」などと自動的にカテゴリー分類される必要があるのか。 よく分からないところで、整理し直すべきではないのか。


*1:「こういう人しかいない」ということではありません。 しかし対人支援周辺では、暗黙の間違った当事者論が、あまりにも強硬に思考のフレームとして機能しています。

*2:制度的に承認され、収入の枠をもつ活動だけが《仕事》なのだと。