2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「あらゆる関係性はSMだ」(フロイト)

斎藤環: 人間関係はコントロールできない。 いい加減にやるしかない。 御意。 しかし、単に「されるがまま」では、いいように利用されて泣き寝入りになる。 上山: 人間関係には、必ずトラブルが起こる。 だから、誰かとの関係を続けたいと願うことは、「そ…

「欲望と関係性はイコール」

斎藤環: 「自発性」が、国策レベルで非常に大きなテーマになっているが、ラカンというフランスの精神分析家は、「欲望は他者の欲望である」と言っている。 欲望と関係性はほとんどイコールであり、人間関係が欲望を生む。 人間関係とは、欲望の絡み合いであ…

抑圧・実体化

斎藤環: 1980年代半ばまで、「無気力症」という言い方があったが*1、実はひきこもりは無気力ではない。 むしろ欲望に苦しめられている。 しかし最終的には、欲望の枯渇したような非常に危険な状態になる。(統合失調症の荒廃状態とはまったく違う) 「ひき…

「好きな人」か、「友達」か

知人女性と話していて、お互いに非常に納得できた話。 この日のシンポジウムでも説明した。 すごく仲のいい相手が、自分にとって「好きな人」なのか、「友達」なのかの違いは、 その相手に「新しく恋人ができた」と聞かされて、 ショックを受けたら「好きな…

性愛的承認

斎藤環: 性的な他者に承認されることは、劇的な効果を持つ。 医者などにできることをはるかに超えている。 性愛は重要なテーマだと思うし、これからも考えたいが、実際にプライベートな関係を作ることは必要だろうか。 ▼恋愛市場に意識的に参加しない、とい…

シンポジウム 「外に出たくなるってどんなとき? 〜欲望と希望のあいだ〜」*1 【出演】 斎藤環さん (精神科医 爽風会佐々木病院) 【臨床】 上山和樹さん (『「ひきこもり」だった僕から』著者) 【経験者】 岡本圭太さん (よこはま若者サポートステーシ…

いくつかの死に接して

自殺した本人の事情を通じて、皆の事情が露呈する。 「私にとっても、死ぬという選択以外ないのではないか」。 ▼ひきこもっている人(その過去を持つ人)が自殺しても、統計上は単に「自殺」であり、ひきこもりの深刻さとは結び付かない。 斎藤環氏は「ひき…

「反論したい」という内発性

主意的固執は、フェティシズムばかりでなく、愛や、「議論への固執」であり得る。 荻上: 例えば斎藤環さんは『ビッグイシュー』での上山和樹さんと行っている往復書簡「和樹と環のひきこもり社会論」という連載で、「希望は症状にしかない」と語った上で「…

「文脈の政治に負けている」

ひきこもり系の人は、周囲の文脈に順応的にふるまうことがひどく難しい。 単に迎合するのではなく、積極的に文脈を制作していく方向の参加*1を続けるためには、主意主義的な固執(説明しようのない必然性の感覚)がどうしても必要になる。 【参照:「アーテ…

「いじめと現代社会BLOG 」

内藤朝雄氏の新刊『いじめと現代社会』のキャンペーンブログ。 『成城トランスカレッジ!』の chiki さん(id:seijotcp)が管理人とのことです。

「極めつきの“私小説”アルコール依存症克服記…鴨志田穣」

病状によっては、命はそう長くないと伝えられている。 「どうってことないですよ。 何度も命なくしたと思ってるから。 逆に良かったと思ってるんですよ。 リミットがはっきりした。 焦燥感を持たなくていい」 訃報: 「鴨志田穣さん42歳=フリーカメラマン…

『Shutting Out the Sun』の和訳本

ひきこもりの国作者: マイケル・ジーレンジガー,河野純治出版社/メーカー: 光文社発売日: 2007/03/23メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 27回この商品を含むブログ (19件) を見る未読です。

「鬱のリアル」

SIGHT (サイト) 2007年 04月号 [雑誌]出版社/メーカー: ロッキング・オン発売日: 2007/03/01メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (17件) を見るみずからの鬱体験について、宮台真司氏: 精神科医って〈社会〉の手先でしょ(笑)。 たとえ〈社…

「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案ほか」

http://d.hatena.ne.jp/grafvonzeppelin/20070320#p6

雑誌『ビッグイシュー』 第68号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、 今号は斎藤さんで、『強迫と合理性』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 ▼ひきこもり…

「参加できない」の余談

1968年生まれである私は、ファースト・ガンダム(1979年)に相応に熱中した*1後、待ちに待った『Zガンダム』(1985年)で落胆とショックを味わったのだが(「わからない」「世界観に入っていけない」)*2、あの新しい「演出作法」への違和感と「取り付く島の…

メモ――文脈と統辞

「勉強不足だから内容がわからない」ということはある、しかし逆に言うと、「内容がわかってもわざわざそれに取り組む必然性がわからない」ということがある。 ▼「生活のために乗り切るべきだ」と言われる。 「生き延びるのが至上命題」なら、それ以上問い詰…

文脈と学習――斎藤環氏の「PS と OS」

PS =「Psychoanalitic Subject、精神分析的主体」、 OS =「Organic Subject、器質的主体」 斎藤氏は、ベイトソンの学習理論から「文脈=コンテクスト」を論じるのだが、 これはPS側の理論では説明できず、OS側でしか記述できないという。 「文脈の認識」で…

「参加」についてのメモ――象徴的、想像的

ひきこもっている人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられている。 (斎藤環、3月6日の講演) 「想像的 imaginary」 「象徴的 symbolic」は、フランスの精神分析家ジャック・ラカンのジャーゴンで、日…

「文脈がわからなくなる」

私は日常的に、自分の生きている前後の文脈がわからなくなり、 それは理知的にわかるとかわからないとかいう悠長な体験ではなくて、 発作のように向こうから襲ってくる非常に制御しにくい感覚で、 歩いているときにいきなり上下前後左右がわからなくなって卒…

動機づけと象徴界

■質問(上山) 今日のイベント以外のご発言も参照させていただいていいでしょうか。 (斎藤環氏:「どうぞ」) 斎藤さんはひきこもりに関して、社会学の「再帰性」という概念を参照なさって、「再帰性のサイクルをいかに止めるか」ということをおっしゃって…

発達障害について

■質問(id:iDESさん) 「ひきこもり」の定義が、人によってちがう。 斎藤さんの定義では精神障害は除くとなっている。 厚生労働省の定義では発達障害も含むことになっている。 質問の一つ目は、斎藤さんの定義に発達障害に対する言及がない理由。 厚生労働省…

 斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 4

【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート3】 【上山・注】: 最後に、質問時間について。 ▼以下の記録の前に、男性と女性がそれぞれ1名ずつ長く質問され、かなり長時間のお返事があったのですが、当ブログのテーマである「ひきこもり」…

現実界

認識不可能の領域。 精神病の領域。 象徴界に出現しなかったものが現実界に出現する、という言葉は、なによりも精神病の幻覚妄想を意味している。 象徴界を成立させるのが父ならば、現実界を具現するのは母である。 現実界は、たとえば耐え難い外傷との出会…

想像界

視覚的な「イメージ」とともに、言葉の「意味」の側面。 言葉の「意味」を担っているのは想像界であり、象徴界ではない。 【象徴界は純粋なシニフィアンの作動。 言葉の「音韻的な側面」のみの無意味な作動。】 もう一つありがちな誤解として、「象徴界は社…

象徴界

象徴界は言葉がおりなす複雑なシステムである。 言葉は、より正確には「シニフィアン」のことであり、これは言語の音韻的な側面、言い換えるなら、意味やイメージではないほうの側面を指している。 その作用は、人間生活の全般に及んでおり、意識される部分…

「欲望が満たされたと思い込んではいけない」

私(斎藤)個人の印象としては、ラカンが臨床で使われるというのは違うと思う。 たしかに直接的に応用する方法論としては弱いかもしれないが、臨床家がある種の倫理的な姿勢を維持する上では、ラカンの教えはまだまだ有効だろう。 ラカン派の倫理として有名…

 斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3

【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】 ラカン派精神分析のパラダイム 精神分析にはさまざまな理論があり、非常に多様。 フロイトとラカン以外にも、ユング、アドラー、フェレンツィ、ウィニコット、コフート、クライン、カーンバー…

《 学習 IV 》

仮想的なもの、フィクション。 「学習 III に生じる変化」であるが、ベイトソンは「地球上のいかなる成体の生物もこのレベルには達しない」とみる。 (レジュメ) 「進化のプロセス」はこのレベルかもしれない。 おそらくこれは、脳の中で蓄積されたものが、…