性愛的承認

斎藤環: 性的な他者に承認されることは、劇的な効果を持つ。 医者などにできることをはるかに超えている。

性愛は重要なテーマだと思うし、これからも考えたいが、実際にプライベートな関係を作ることは必要だろうか。 ▼恋愛市場に意識的に参加しない、というのも重要な選択肢だと思う。

斎藤環: 性はつねにアクシデント。

「あらかじめ設計された図面に従って努力しても、それは性愛ではない。 偶然出会うという形以外では、性愛にはならない」ということだと思う。 とても納得できる*1


事前の段階で、「誰かに出会えば」云々と期待を持つのは、対象の定まらない、あいまいな希望にすぎず、そこを足場にしてもどうにもならない。 むしろ実際には、嫌悪されたりさげすまれたりするほうが日常的で、絶望を深めるだけ。
また、片想いで思いつめても相手に迷惑なだけ。
性愛にかぎらず、人間関係では無視されたり憎まれたりするのが基本であり、愛される期待を持つよりは、「愛されないが、それでも生きることを続けてゆく」という淡々とした執着が必要だと思う*2。 ▼生きることがトラブルでしかあり得ないなら、生き延びるためには、トラブルを続ける欲望が要る。

    • 個人的な印象だが、性愛とはトラブルそのものに思える。 大切な相手との関係を続けようと思えば、むしろ性愛要因を排除しないと無理だと感じる。






*1:宮台真司氏的な「ナンパ修行」に意味がないと感じるのは、このため。 そもそも宮台氏自身が、ナンパによってぜんぜん救われていない。

*2:愛されるよりは、「愛する」という積極的な要素が必要。 しかし恣意的に選べるものではない。