現実界

認識不可能の領域。 精神病の領域。

 象徴界に出現しなかったものが現実界に出現する、という言葉は、なによりも精神病の幻覚妄想を意味している。 象徴界を成立させるのが父ならば、現実界を具現するのは母である。
 現実界は、たとえば耐え難い外傷との出会い、という形で、象徴的に反復される。 (レジュメより)

精神病においては、象徴界が機能不全を起こしている。
象徴界には穴が開いている」とか、ラカンの有名なキーワード「対象a」なども、現実界と関連が深い。つまり、部分的には認識できるが、それ自体は認識の対象ではない。 人間の言語では接近できない。








それぞれに説明限界が存在する。 精神分析にできるのは、象徴界について記述することまでであって、ことが現実界に及んでしまうと、記述は不可能になってしまう。 たとえば、「文脈の認識」であるとか、「学習がなぜ起こるか」といったことは、精神分析の理論では説明できない(「現実界で起こる」としか説明しようがない)。 パソコンの喩えでいえば、これらは全てハードウェアの機能であって、心を扱うラカンの議論では記述できない。



補足

クオリア説の一つの限界は、「鏡像をどう認識するか」にもかかわってくる。 鏡の「鏡らしさ」、その中に写っている像の「像らしさ」、それを同定する過程に関する認識、など。 「合わせ鏡」という言葉があるように、鏡像というのは、メタ認識に向かうとそこに鏡像無限が起こり得る。 そこをどうやって脳のレベルで認識できるのか。


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