発達障害について

■質問(id:iDESさん)

 「ひきこもり」の定義が、人によってちがう。 斎藤さんの定義では精神障害は除くとなっている。 厚生労働省の定義では発達障害も含むことになっている。
 質問の一つ目は、斎藤さんの定義に発達障害に対する言及がない理由。 厚生労働省の定義に発達障害が含まれていることについての斎藤さんのご意見。
 質問のもうひとつは、発達障害に対して精神分析ができることがあるとしたらどういうことか。



斎藤環氏の返事:

 私はひきこもりの定義には発達障害を含めていない。 それは、精神障害を含めないで、発達障害を含める根拠が何もないから。 基礎疾患がない状態でのひきこもり状態を「社会的ひきこもり」と呼んでいるのだから、発達障害が見つかったらそれは発達障害という診断で治療を受けることになる。 ただ、そこはあまり堅く考えてなくて、要するに定義に発達障害を含めるのは、「発見」の機能ですね。 ひょっとしたら発達障害があるかもしれないという疑いをきっかけにする必要があって、たしかに私はあまり多く出会ったことはありませんけれども、ひきこもりと呼ばれる人の中に、どうも何割かは発達障害の人が混じっているらしい。 そういうことを知らないで診ていると、見過ごされてしまう。 いちばん見過ごされやすいのが発達障害であるという理由で、注意を促したというぐらいではないかと私は思っているので、そんなに重大な変更とは思っていない。 ただ、幸か不幸か、私はひきこもりの中に発達障害の人はほとんど見たことがなくて、むしろ発達障害という診断名が濫用されていないかなという懸念のほうが強いです。 というのは、発達障害という診断がいちばん下されているのは、私の印象では学校現場なんですね。 学校の先生が「診断」という役割を担いすぎているという傾向があって、それを聞いて安心感を得る母親というのもいる。 「共犯関係」というと失礼だけれど、過剰に診断されている可能性がかなり高い。 たとえば自治体によっては、そういう診断を一部の精神科医が握っていて、その精神科医がたまたま発達障害に関心の高い人であったために、不登校である人が全員「発達障害」と診断されてしまうというようなとんでもない事態も現に起こっているからです。 というわけで、過剰診断というのが大きな問題だと思っています。
 発達障害精神分析について。 ラカニアンは自閉症についていろいろ言っていますけれども、基本的に私は、「PS側の人はOS側については黙ってろ」*1という立場ですので、発達障害は明らかにOS側の問題としてすでに区分されていますから、まさにこのルールにおいて、精神分析はあまり多くのことは為し得ない。 部分的にカウンセリング的なテクニックを生かせるところはあるかもしれませんけれども、ただ基本的に、器質性障害や発達障害の患者さんというのは、あまり分析的なテクニックを駆使されるよりは、比較的常識に基づいた、陳腐な対応でうまくいくほうが多い。 さらに言えば、発達障害の場合は「治療」と言わずに「療育」といいますけれども、教育的な要素を含めた指導の仕方でやることが多いですから、あとは部分的に薬を使うぐらいですかね、問題行動があった場合に。――というわけで、発達障害については、精神分析にできることはほぼゼロに近い。

    • 【上山・注】: 「ひきこもりの中に発達障害の人はほとんど見たことがない」というのは、ひきこもりの関係者に対してはかなり批判的な態度表明になっている。 ▼「発達障害」をめぐっては、機会のあるごとに支援関係者のお立場を(個人的に)うかがっているが、精神科医の間でもあまりに意見が分かれている。 ある精神科医は、「発達障害は、思われているよりもずっと多いと考えなければならない」といい、別の行政系窓口担当者(心理士)は、「ひきこもりで相談に来る人の半分ぐらいは発達障害ではないか」という。 ▼文部科学省は、「小中学生全体の6・3%が発達障害」と発表している(2002年度)。 【参照:「ニートに「発達障害」の疑い、支援に心理専門職も」(hotsuma氏)】










*1:PS(Psychoanalytic Subject 精神分析的な主体)、 OS(Organic Subject 器質的な主体)