不自由の臨床論

 「治る」ということを、私は「自由になること」と考えています。 (p.186)

 まずニートは経済学的用語ですが、ひきこもりはどの分野の言葉か所属がいまだにあいまいです。精神学*1用語でもありませんし、心理学でも、社会学でも、教育学の用語でもない。ただの状態像を示す言葉ですから、いまだにはっきりとした帰属場所のない言葉のままなのかもしれません。もっとも私は、このあいまいさがあるからこそ、学際的な研究が可能になると考えています。 (p.39)



斎藤環の主張する「ひきこもりの治療論」は、学際的に人を自由にすることを目指している。これは、ひきこもりは自由な選択の結果ではなくむしろ不自由の結果であるという斎藤のひきこもり理解に基づく*2。 斎藤のひきこもり論は、「病気の臨床」ではなく、「不自由の臨床」になる。
「ひきこもっている者には、不自由を押し付けて社会復帰させるべきだ」という言い分は、空しい抽象論として退けられる。ご家族のほとんどはまずそのように対処し、挫折して途方に暮れているのであり、斎藤の臨床的エネルギーの多くは、それでも “厳格な” 態度を改めようとしないご家族への説得にあてられる*3。 厳しさやルールは、ただ家族内に「公正さ」を導入するための手続きとされ(p.148)、本書に記されるアドバイスの多くは、自由の実現を理念ではなく、具体的な方法として示そうとする*4

 再登校させるべきかどうかは問題ではない。 それでは何が問題か。 「どうすれば、子どもが元気になるか」こそが問題なのです。 つまり、治療や支援の目標は「元気」なのです。(p.33)



ひきこもりが自由の結果か不自由の結果かはともかく、単なる強硬策(家から追い出すなど)は、端的に本人を「見捨てる」方向になる。それは、無関係な第三者の選択肢としてはあり得ても、「死んでほしくない」と思っているご家族に対しては、危険性の高いギャンブルの提示でしかない。確率的にうまくいくケースがあり得ると同時に、死亡事例が発生した場合、責任は誰が取るのか。 「精神科医」として来院者をひきうけ、生命尊重を制度的に義務づけられる立場としては、選択以前の問題かもしれない*5。 ひきこもっている本人を単に家から追い出すことは、「自暴自棄な決断」(p.133)として、わざわざ相談に訪れたご家族へのアドバイスとしては除外される。
マクロな視点で考えても、「単なる追い出し」が対策として難点を持つことは容易に想像できる。生活力のない数十万人規模のホームレス予備軍は社会全体のリスクであり、破滅的状況すら想像される。教育制度を含め、政策的対応の検討が必要だが、現時点での実際の対応現場であるフリースペースや家庭では、「悪いのは社会だ」と語っていてもしょうがない(対応として間に合わない)。 困り果てた現場において、あるいは本人自身の試行錯誤において、長期的な使用に耐える具体的な方法論が求められている。


本書は、ひきこもり問題への啓蒙的アドバイスを主題としつつ、実は「理論と現場の緊張関係」を潜在的な中心テーマにしている。理論と臨床とが関係する困難を、単にメタ的に論じるのでなく、その困難に取り組みながら、実演して見せること*6。 斎藤の臨床的態度の背景となる理論的認識がいくつも提示されるが、そこでは「役立つ言葉を理論的に提示する」ことが、あるいはむしろ、理論的含蓄を持つ言葉を「臨床的パフォーマンス」として成功させることが目指されている。
こうした態度をとる斎藤への批判があり得るとしたら、理論と現場の関係の作り方について、「それでは人を自由にできない」という話をせねばならない。本書にかぎらず、私は今後そのような形で斎藤を批判する必要を感じている。
本書そのものへの批評的言及という枠をやや逸脱しつつ、以下で私は、その基本となるアイデアのスケッチを試みてみる。


その2につづく】


    • 【18日早朝追記】: 緊急の仕事が入り、続編の投稿は、来週前半になってしまいそうです。すみません。 ■【24日夕方追記】: 間が開いてしまいましたが、「その2」に続いています。




*1:「精神医学」の誤植と思われる

*2:斎藤は引きこもりについて、「障害部位を特定できない、自由が障害されているとしかいいようがない」と語っている(『ビッグイシュー』第45号 p.16)

*3:p.75、89、102、117 など。 他者による持続的な支持や、適切な自己受容の必要が説かれ、本人自身が「自分はダメだ」と思いすぎることでかえって身動きが取れなくなる事情が説明される。

*4:本書は、彼のブログで箇条書きされた 「ひきこもりコミュニケーション」 「高年齢ひきこもり」 「望ましい治療モデルとは」 などを、1冊かけて(理論的背景を含め)啓蒙的に解説している感じ。 斎藤の臨床的寸言は、こうしたスタイルのものとしては最良と感じる。

*5:精神科医である以前の、1個人としての斎藤環がどういう立場なのかは知らない。

*6:「はじめに」によれば、本書は社団法人青少年健康センターが主宰する理論講座「不登校・ひきこもり援助論」の講座記録が元になっており、斎藤自身による出版告知では、「啓蒙本です」と記されている。