【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】
ラカン派精神分析のパラダイム
精神分析にはさまざまな理論があり、非常に多様。 フロイトとラカン以外にも、ユング、アドラー、フェレンツィ、ウィニコット、コフート、クライン、カーンバーグ、などなど。 とりわけ「自我心理学 Ego psychology」というアメリカの精神分析一派が、最近「脳」との関連に非常に熱心になっているが、今日の私(斎藤)の話は、そうしたものとはかけ離れている。
最近の精神分析の主流は、脳科学や生物学的精神医学との接近をひとつの特徴としている。 それは状況上避けられないことだったのかもしれないが、フロイト・ラカンとはかけ離れてしまった。
「フロイト=ラカン」という言い方をするのは、ラカンという精神分析家は、「自分こそが、フロイトの創始した精神分析のもっとも正統的な後継者だ」と主張したから。(そのことは、ラカン派の人はもちろん認めているが、ラカン派以外の人はそんなことは認めていない。)
ラカンの議論は、医学の領域ではかなりの異端・例外に属するが、思想・批評の領域では圧倒的な影響力をもつ。 スロヴェニア出身のラカン派哲学者スラヴォイ・ジジェクは、思想界のスターのようになっているが、日本語の翻訳本は出るたびにコンスタントに1万部売れているという。 ほんらい治療目的で生まれた精神分析だが、ラカンのインパクトは、ちょっと特殊な形で生き延びている。