文脈と学習――斎藤環氏の「PS と OS」
- PS =「Psychoanalitic Subject、精神分析的主体」、 OS =「Organic Subject、器質的主体」
斎藤氏は、ベイトソンの学習理論から「文脈=コンテクスト」を論じるのだが、
これはPS側の理論では説明できず、OS側でしか記述できないという。
「文脈の認識」であるとか、「学習がなぜ起こるか」といったことは、精神分析の理論では説明できない(「現実界で起こる」としか説明しようがない)。*1
しかし、「文脈」も「学習」も言葉の体験で、脳髄というよりは言葉が問題になっているように思うので、PS の話をしないわけにいかないと思う。
ここで私の理解が混乱したままになっている。(今後の宿題)*2
そもそも私は、『文脈病』という本がよく理解できない。
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- 斎藤環氏の既存のひきこもり論では、「文脈」についての話はコアには展開されていない。
*2:参考:「抱擁函Hug Boxあるいはドゥルージアンの発達」(斎藤環)