2007-01-01から1年間の記事一覧
香山リカ氏。
気になる議論のメモ。 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。 資本主義を成立させるための権利関係を保障するのが暴力しかないのであれば、資本…
「充たされざる者(カズオ・イシグロ著)」(梅田望夫による書評)より: 私たちは皆、自分の生を生きることに精一杯だ。それだけで自分の時間の大半は過ぎ去っていく。その合間を縫って多くの他者と関わるのが生きることだが、他者の人生に深く関わろうとす…
先日の芸術の話について、読者の方からいただいたメールより*1。 現代芸術に共通するものがあるからということで、子どもの絵を「芸術」として見る人たちもいます。でも、子どもの絵に関しては、発達の目的は芸術ではなく、現実を捉えることとか、成熟した大…
ずいぶん前の話。 知人の大学院生 B が、「大学院の先輩 A を紹介したいのだが、興味はないか」という。 お二人とも私よりずっと年下だが、「A さんは、大学の外とつながりたがっている。フリーでひきこもりに取り組んでいる上山さんをぜひ紹介したい」との…
「どうやったらうまくいったか」という話ももちろん聞きたいけど、「こういう失敗をしてしまい、そのあとこういう展開になった」という話こそ参考になる気がする。 失敗やトラブルを核に、業界や制度の事情が透けて見えるということもあると思う。(学問や議…
企業が労働者を募集・採用する際に年齢制限を設けることを原則禁止する改正雇用対策法が10月1日に施行される。 ハローワークでの求人だけでなく、民間の職業紹介や求人広告でも、「年齢の壁」が取り除かれる。中高年や30歳を超えた年長フリーターなどの…
「動物化した」この状況では、馬鹿正直に考えた人間が潰される。 コミュニケーションは無理だから、暴力を独占した機関に頼るしかなくなる。 「絶望していらだつ群集」は、自分の首を絞めるようなことでも何でもやる。苛立ちを晴らすことが目的であって、整…
著名な語り手の多くは、読み手が自分の状況や自分自身のことを分析せずともナルシシズムに浸れるような言説スタイルになっている。熱心な読み手は、「自分は分析を理解できた」と、自分の現場に介入的な分析をせずとも悦に入れる。しかし、「どんな場所にで…
関係者や語り手の固有名詞が登場し、「現実/作品/私」の関係が倫理的に問われる、そこでの実験が為されたように見える「キャラクターズ」(東浩紀+桜坂洋)は、いわゆる《当事者》系の議論とモチーフを共有する*1。 刺激を受けたこの作品を出発点に、以下で…
ナルシシズムの発露とは別の、分析的な「本人による議論」が必要だ。語ったり書いたりすること、それを事後的に分析することは、硬直したナルシシズムの制度から自由になることだし、そうでなければ言葉を尽くす意味がない。現状では、「語れば語るほど独り…
数学セミナー臨時増刊号『国際数学者会議ICM90京都』(1991年)より。 ある意味で、基本的な数学的問題の個数が無限だというのは確かな気がする。ところが、私は真に基本的な物理的問題は有限個だと信じている。だとすると、未来において数学と物理が真に…
「主体があって、それが論点に取り組む」のではない。 主体自身が、論点の実存として成立している。 主体は、実体的な何かではなく、antagonism(敵対性)そのものとして成立する。 言語は、単に差異なのではなくて、論点として成立する。(ラカンなら、それ…
「正義はあっても分析はない」ような人たち。 「正義の味方」を演じているつもりの、幼稚なナルシシズム。(とはいえ、実際の行動においては、そうした硬直した態度が必要だ。自意識のエクスキューズは、たいてい「何もしないでいる」ことの言い訳でしかない…
現代芸術を見た多くの人が、「こんなものは子どもにでも描ける」とため息をつく。超絶技巧が専門性で、子どもの絵が単なる幼稚な弛緩でしかないとしたら、現代芸術を形作るたくさんの「流派」は、あれはいったい何をしているのか。 これについて、専門性と批…
ひきこもっている人は、社会の制度に登録されていないが、本人自身が硬直した意識の制度を生きている。 日本が「悪い場所」*1だとしたら、その悪い場所にいる《当事者》として自己分析的に、あるいは環境分析的に、自分の居る場所を分析し、そこで換骨奪胎的…
何かに熱心に取り組むとき、私たちは制度の中にいる。自転車に乗るときに筋肉の動きを意識しないように(意識しているときは乗れていない)、動機づけと能力の高さは、自意識の解除と同時に起こる(斎藤環が引きこもりについて指摘する「再帰性」の問題)。 …
多くの制度的強制力やナルシシズムには、お金が絡んでいる。逆に言うと、お金の流れを生み出せなかった取り組みは、社会的に維持できない。制度への換骨奪胎的な姿勢は、そのまま「お金の流れをせき止めること」にも見える。▼お金の流れは、せき止めればいい…
高度に開放的で分析的な姿勢(メタとベタの往復の徹底した維持)は、あまりにも受傷性が高くなる。それは、くだらないトラブルにも全力で傷ついてしまい、他者の恣意的で傲慢な暴力にも全力でみずからを開いてしまう。開放的姿勢自体が、恐怖をいや増す。こ…
《制度》としてのベタな専門性に対して、メタな(transcendental)目線や、メタを含んだ換骨奪胎的な(transversal)試行錯誤は必要だが、それが特定の専門性に入門できない無能力(無活動)をしか構成しないのでは、どうしようもない。神経症的に孤立したメ…
私のブログは、ひきこもりの経験当事者や支援関係者からは「学者ごっこ」と言われ、学者からは「専門性が足らない」と言われることが多いが、真剣に考えようとする人間がそのような葛藤に晒されること自身が、論点としてのひきこもりに内在的な、原理的な問…
斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『《日常》という抑圧と、「診断」』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 …
9月15日、「フロイト思想研究会」 第一回大会(プログラム)に、聴衆として参加。 精神分析が一つの「制度」であり、そのことに窒息しつつ、しかしその専門性はやはり必要だ――などと考えていた。 会長講演のあとの冒頭の講演で、「フロイトという父を殺す」…
町山智浩さんの評を見て期待してたんだけど、がっかり。 【以下、ネタバレ注意】
『新潮 2007年 10月号 [雑誌]』掲載。 私は、虚構作品をそれ自体として楽しむ習慣がなく、「自分がものを作るためのヒント」が欲しくて読んだ。 読んでよかったし、今後も何度か立ち戻るつもり。 以下は、初読後のメモ。 【以下、ネタバレ注意】 (※映画『マ…
作品を評価するためというよりは、ごく私的な、「映画を観ていて考えたことのメモ」です。 【以下、ネタバレ注意】