折衝と制度

充たされざる者(カズオ・イシグロ著)」(梅田望夫による書評)より:

 私たちは皆、自分の生を生きることに精一杯だ。それだけで自分の時間の大半は過ぎ去っていく。その合間を縫って多くの他者と関わるのが生きることだが、他者の人生に深く関わろうとすれば、他者一人につき、それだけでほぼ無限の時間が必要になる。私たちは同時に複数の場所に存在することはできない。他者からの要請に費やす時間のプライオリティづけがぐずぐずになったとき、私たちの生はいったいどんなものになるのか。それが「充たされざる者」に流れる時間だ。しかしそれは、悪夢の中だけのことなのだろうか。

優先順位をつけるのが下手な人間が、家族に対して、自分を最優先にするのを要求する。結果としてそうなっている――ひきこもりというのは。(最優先に扱うことが、家族の側のアリバイになっているかもしれない。最優先に扱っているのだから、家族や自分の現状を反省的に考えなくてもよいのだ、というような。)

 いくら近しい関係にあっても、他者を私たちは十全に理解することはできない。すべての人は全く違う記憶と、全く違うプライオリティを持って生きている。

優先順位を、ミクロやマクロで折衝すること。
人生の残された時間は、それですぐに終わってしまう。