萱野稔人氏×北田暁大氏 トークセッション「権力と正義」 参加 (kwktさん)

気になる議論のメモ。

 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。
 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。

 資本主義を成立させるための権利関係を保障するのが暴力しかないのであれば、資本主義は国家が今のところ必須と考えられる。
 所有権を確定し、所有権が侵された場合に処罰を行うのは誰なのかという問題をどう考えていくのかが社会契約論のスタート地点。

 本日の議論では国家が 「軍事・治安上の保障」 「経済的・福祉的な保障」 「感情・承認の保障」 を満たすことが一体となって話が進んでいた。




参照: 北田暁大 書評『国家とはなにか』 「ありそうでなかった独特の国家論

 萱野によると、国家とは、暴力を組織化し集団的に行使するメカニズムであり、いわば「暴力」が自己を貫徹するための手段と考えられる。したがって、「国家が暴力を行使するのではなく、暴力が特定のあり方において行使されることの結果として国家をとらえなくてはならない」(三八頁)。社会契約論的に自然状態の思考実験から、「国家とは何か」をめぐる規範的考察を進めるのではなく、ウェーバー的機能論の根源(=暴力)を掘り下げることによって機能主義を越える国家論を探究すること。「社会学的な(国民国家論的な)政治理論に限界があるから、規範論に行く」という安易な道筋をとらず、萱野は社会学的思考を突き詰めることによってその論理を脱臼させていく。ありそうでなかった独特の方法論的なポジショニングである。



暴力がなければ、制度を安定的に維持することはできない。