先日の芸術の話について、読者の方からいただいたメールより*1。
現代芸術に共通するものがあるからということで、子どもの絵を「芸術」として見る人たちもいます。でも、子どもの絵に関しては、発達の目的は芸術ではなく、現実を捉えることとか、成熟した大人になること等にあると思います。
発達すべき前段階にあって、見るべき現実を見られていない未熟さや弛緩でしかない「子どもの絵」と、むしろ芸術の最高段階にあって「これこそが見るべき現実を見られている」と見なされる《現代芸術》と。
幼児性にこそ故郷があるのではなくて、見るべき現実はまだこれから気付かれ構成されるべきである――とはいえ、見る価値のある現実など残されているのか。 小難しい議論をしても、価値ある現実などもたらすことができるのか。
「現実を見る」という行為は、あるいは「現実」という理解そのものが、一定の歴史的な仕方で《構成されたもの》である――というのが、一部の人たちの理論的な考え方なんだと思う。(そのように語る自分自身が一定の仕方で構成されている)