2005-12-08から1日間の記事一覧

読み手の当事者性を賦活する議論がある。

「論じ手が当事者であれば当事者性を賦活できる」というわけではない。 賦活能力があるのは「より現実的な」議論。 最悪の方法は「説教」だ。

柄谷行人『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』 p.4-5

マルクスは、商品交換は共同体と共同体の間ではじまり、その結果、共同体の中でも個人間でもなされるようになる、といっている。しかし、当然だが、共同体や家族の中にも広義の「交換」がある。それは、贈与とお返しという互酬制である。これはマルセル・モ…

景気と引きこもり

景気浮揚すればニート(若年就労)問題は改善する、という意見が経済学の専門家から出ているようで、確かに現在社会参加できずにいる人の一部はそれで大丈夫なのだと思う。 ▼しかし、バブル絶頂期に20歳前後を過ごした私(1968年生)は、景気が良かったにも…

リスク管理、セーフティーネット

TV番組「犯罪被害者 どう補償するのか」を部分的に観たが、犯罪被害について民事的に損害賠償を求めようにも、加害者に賠償能力がなければ「泣き寝入り」するしかない。 リアルに想像すると愕然とする。 ▼最近、建築士による構造計算書偽造が問題になってい…

「当事者」と「こども」

一部のロマン主義者にとっては、「こども」というのは、「絶対的な《当事者》」ではないだろうか。 天使であり、不可侵であり、崇拝の対象なのだ。 ▼「《当事者》というポジションの無際限な絶対化」と、「オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)」とは、…

小田中直樹氏:「本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』」

「ポスト近代型能力」は「近代型能力」を身に付けるために必要な能力であり、したがって後者のメタ次元に立つと考えるべきではないだろうか。 年内は「主体性を教育する」という営みの可能性について書いて(正確には「書きなおして」)いるところだし、年明…

規範と人命――「教育的介入」と「環境改善」

摂食障害や不登校・ひきこもりへの医療的介入には、「医療の形を取った教育的介入」という要素がないだろうか。▼だからといって単にそれを悪者視はできないのが難しい。現実に人の命が懸かっているのだから。放置は事実上の「見殺し」を意味する【→「人権か…

斎藤孝『教育欲を取り戻せ! (生活人新書)』

図書館の帰りに見つけ、本屋の店先であっという間にほとんど読んでしまう。 主張内容には文句があるが、資料として購入。 ▼ひきこもったりニートだったりへの「説教」は、《教育欲》だと考えればわかりやすい。 大人から若者への、若者間での、国家から個人…

合流と歴史性

これまではずっと「一人で穴を掘っている」感じだったが、最近、いつの間にか「横穴」が通じているような気がすることがある。 ようやくそういう状態になってきた、それぐらいには掘れるようになってきた、ということか。 ▼そうなってみると、自分のしている…

 途中経過