「当事者」と「こども」

一部のロマン主義者にとっては、「こども」というのは、「絶対的な《当事者》」ではないだろうか。 天使であり、不可侵であり、崇拝の対象なのだ。 ▼「《当事者》というポジションの無際限な絶対化」と、「オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)」とは、論点として関係しないか。 ▼そうはいっても、当然ながら、「当事者」や「こども」は尊重の対象なのだ。
→ ここにおいて、「当事者を批評する」*1というテーマと、「子供を教育する」というテーマとが、その困難さにおいて並行しないか。 ▼「教育すること」と、批評的侵襲と。



*1:参照