リスク管理、セーフティーネット

TV番組「犯罪被害者 どう補償するのか」を部分的に観たが、犯罪被害について民事的に損害賠償を求めようにも、加害者に賠償能力がなければ「泣き寝入り」するしかない。 リアルに想像すると愕然とする。 ▼最近、建築士による構造計算書偽造が問題になっていて、公的に補償するか否か、という話が出ている。 すでに何人もの論者が指摘しているが、被害が軽微か少数者である場合には、まだしも直接的補償が検討されるが、極端に大規模な被害の場合、損害は放置される*1【善悪云々の前に、まずどうしようもない事実として】。 ▼社会参加の困難さの一端は、セーフティーネットの難しさに関連すると思う。 「お互いを支え合う」のではなく、自分を犠牲にして「巻き込まれる」という感覚。 過労死もそうだが、「わけのわからない論理で完全に手綱を握られる」恐怖。 それでも、脱落すれば死ぬしかなくなる。
僕の知人の何人かは殺人的なスケジュールで働いているが、それは事実上、偶然的事故の重なりによってそういう状況に「追い込まれて」いる。 精神はトチ狂っているが、マトモに物を考えている時間や余裕はなくなり、冷静に考えればあり得ないような判断を重ねて「こなす」だけの毎日が延々と続く。 ▼危機管理の問題が、自己責任になりすぎていないか。 社会に「踊り場」がない。 順調にのぼるか、転落するかしかない。 ▼「責任なき偶然の被害」は、この社会ではどう扱われているのだろう。



*1:極端な事例は、阪神大震災スマトラ島沖地震