合流と歴史性

これまではずっと「一人で穴を掘っている」感じだったが、最近、いつの間にか「横穴」が通じているような気がすることがある。 ようやくそういう状態になってきた、それぐらいには掘れるようになってきた、ということか。 ▼そうなってみると、自分のしている議論の「歴史性」というものがひどく気になってくる。 自分は今こんな議論をしているが、それは歴史的にはどんないきさつの上に乗っかっているんだろう。 「ひきこもり」についてまともな議論をしている人はほとんどいない気がするけど、個別論点についてはすでに膨大な歴史がある。 ほかの人たちがしてきた議論の成果や焦点が、自分の議論をさらにクリティカルにしてくれるかもしれない。 ▼「議論の歴史性」に注意すること。 そのうえで、ほかの人たちの議論に「合流できる」ようにすること。 【「勉強する」とは、「文脈を知る」ということだし、そこで「合流する」ということだ。】
そんなわけでいろいろ読み散らしているが、読書行為への没頭と、自分の《焦点鮮度》とのバランスが難しい。 読む行為を優先すると「なんで俺こんな本読んでんだ?」ってなるし、自分の鮮度だけを優先すると文脈への合流ができなくなって、独りよがりのナルシスト思考になる。 ▼この辺はでも、アクチュアルな読書行為、《行動としての読書》の難しさなんだろうな。
反省的自意識ばかりになると何も書けなくなってしまう。
ここは少し、勢いに任せてメモ的に書いてしまおう。 反復もいとわず。