創発 の検索結果:

「当事者のために」をメタな口実にする全体主義がエビデンスを軽視する

…でおのずと生じてくる創発的分析の特異性、そのできる限りの尊重*1をこそ倫理的な営みと呼びたいのだがいわゆる左翼リベラルにとっては、「当事者のために」というような絶対擁護を口実にする卑劣さを倫理と呼んでいるらしい。 こんな根本的勘違いに気づかないまま左派を信用していたとは。 【エビデンス軽視で話題の村上靖彦】【関連𝕏ポスト】 【村上靖彦の新著を論じる斎藤環】 彼らにとっては自己検証ではなく「当事者擁護」が倫理なので*2、それを意味するスローガンさえ立てれば自己の権力を絶対化でき…

当事者概念をめぐる議論それ自体の、紛争性の高さ

…です。斎藤環氏が私の創発的な、あるいは中動態的な問題提起に対して理不尽な暴力的態度をとったのも、まさしくこの「当事者」問題だったはずです。これも12年が過ぎてしまった。テーマとして凄まじく切実なのに、紛争性が高すぎてなかなか触れない状況というか。磯野氏の論考では、当事者として名乗り出た者が「あいつは本当の当事者ではない」と言われる問題も扱われてますが*1――ここにあるような論点って、もう20年前からさんざんくり返しているのに、ちっとも進展がないですね。 このあたり、トラウマ論…

関水徹平『「ひきこもり」経験の社会学』(左右社)について

…力であるといえる。 創発の技法を内側から語ること 本書第三章では、ゴフマン『フレイム分析』を参照しつつ、《状況の秩序化≒状況の定義》という言葉が連呼される*7。ではその秩序化された状況にとって、社会学という言説そのものは、どのように位置づけられるだろう。そこが固定されたままでは、《社会学の目線》だけが状況の定義を逃れたメタに鎮座してしまう。「状況の定義の変化」という関水氏の言い方は、始点と終点のスタティックな状態を静的に名指すにとどまっている。つまりそれは、内在的で創発的な取…

逸脱運動の素材的必然と、それを抑え込む記号の慣性

…で内発的な結びつきの創発があるという良いニュアンスがきわどく同時に語られている。▼記号が関わるから、慣性がないというわけにはいかないのだが、わざわざ「記号-粒子」と言うのは、シニフィアン的な自動性ではなくて、バラバラに断片化したうえでそれをもう一度やり直すことを語ろうとしている。 *1:『精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』掲載の三脇論考のタイトルは「精神医療の再政治化のために」だが、訂正文では「精神科の再政治化のために」と誤記されている。 *2:いち…

動詞形と法

…力に基づき、分子的・創発的・散逸的な構造を創造する。 By contrast, molar organisation draws upon the differentiating operation of a boundary that constitutes a division. それに対し、モル的組織は、境界線の差異化の操作に基づき、この境界線は、分割を構成する。 〔・・・〕 He then presents their theory of law : as that …

《党派性≒超越論性》を不可視にする、あれこれ

…る――だから、超越は創発の形でしか生きられない――というあたりが焦点なので、 (1)あらかじめ理念として超越を立てたり、 (2)「経験の場はあらかじめ超越的なものに支えられている」とする議論とは、 鋭い対立に入るはずです。 私はいずれも、制度論との関係で整理し直す必要を感じています。 あらかじめ建てられた制度を絶対視するのはあり得ないとしても、 《制度化》と呼ぶべき運動について、どう理解し直せばよいか(参照1)(参照2)。 あるいは以下の問いは、具体的な技法論です。 志紀島啓…

グァタリの語用: 《détacher》(1)

…おのれの素材的必然で創発する。内的一貫性が問われる。*1 Donc, dans la situation a-capitaliste, les flux et les stocks sont fondés sur une infinitivation singulière et dans le capitalisme, sur l'Infinitivation des infinitifs. L'économie a-capitaliste repose sur le pré…

剥離による蘇生――ドゥルーズとグァタリ

…térieure》の創発を、説明したものに見える(参照)。 この法の時間は、唯物論的な《機械》の時間と重なるはずだ。(タダモノ論的な機械は、物理法則には従うが、内的法は関係ない) 「原抑圧」で中心化されては、事件としての分析が、独自の法にしたがって創発しない。剥離なしには、真に新しい分節のやり直しが生じないのだ。 グァタリが ダニエル・スターン に言及する箇所では、いつもこの話をしている。 【参照1】 【参照2】 【参照3】 ラボルド病院における、創発的な超越 ファルス的な中…

論じている自分の作業過程に照準できるか (3)

…:私が焦点にしたい「創発」は、ここに生じるものです。 *3:ブログや tweet を拝見するに、酒井さんはフロイト的な精神分析を、いっさいお認めにならないようですね。――私の必要とする、そして現に試みている分析は、「意識のアリバイ」とは別のことを分節するとはいえ、精神分析とも違っているはずです。 *4:差別の専門家(その多くは社会学者を名乗っています)が差別をやめられないのは、意識の言い訳でしか考えていないからです。 *5:ひきこもる人は、抑圧的で無責任だと言えます。では元気…

論じている自分の作業過程に照準できるか

…との追跡であって、「創発される」ことの解明には至っていないのではないか。 だが「明確化」と「創発」は同じ事態ではないだろうか。形而上学のことば遣いをすれば、潜在性が現実的なものとして顕わになることを「明確化」と押さえることができるなら、それはすなわち「創発」なのではないか。 この箇所についての、酒井泰斗氏の tweet より: @contractio / エスノメソドロジー研究はシステムを明確化しているだけで創発... @contractio / 「だが「明確化」と「創発」は…

人称なき強度は独我的で、必然に満ちた《分節過程》

…は、超越性がなくなったから相対主義的になったのではなくて、超越論的な縦軸を召喚するためにこそ、徹底した独我論と分節の特異性が必要になっているのですが、ここを読み解けている「ポストモダン法学論」は、見たことがないです。結論部分の相対性ばかり言っている。 ▼その場から新しくやりなおすような創発的な解釈は、アルゴリズム化した(フラットになった)解釈の場所で、縦軸をやり直すためにこそ必要であり、だからこそ こうした分節過程が、“臨床的” 意義とも関係する――私はそういう理解でいます。

分析の様式は、すでに再編の様式になっている

…かない。*4 そこで創発される必然こそが縦軸(超越論性)であって、 それ以外の場所には、自律化した交換価値と、放置された物質しかない・・・。 労働過程の様式は、分析様式と切り離すことができない。 たとえばヘーゲルにおいて、思考は精神の労働であること。 マルクスはそれを、唯物論的な過程としてとらえ直している(参照)。 人間を「語る存在 parlêtre」と見るラカン派では、新しい働き方は「新しいディスクール」に相当すると思う*5。 そこで、制度分析や分裂性分析は*6、ラカン的な…

ヒトという場所での生成/制作

「技法として創発する《真の父》 」について: @ueyamakzk 「真の父」の制作というのがまだ完全に理解できないのですが、メルロ=ポンティのいう「象徴的マトリックス」というやつかなと思いました2012-04-08 06:21:38 via Twitter for Mac to @ueyamakzk 驚いて『見えるものと見えないもの』の索引を見たら、「象徴的母胎(matrice symbolique)」*1という言葉が数か所あった。よくわからず放置していた概念だ。周辺を読み…

技法として創発する《真の父》

… 私は《真の父》を、創発的な技法として語りたがっている*1。 ものを作るときには、一定のパターンに習熟したうえで、リアルタイムに起きること*2に対応しなければならない。その全体が、ある文脈と条件に巻き込まれている。 私たち自身をメディウム〔媒剤・媒介〕と考えたとき、技法は、身体性として内在的に生きるしかない。ごまかせば、単にブツとして破綻する。《信念》を語ってディテールを無視する安易さではなく、技法の厳格さが要る。 《真の父》は、固着したパターンを反復することではなく、むしろ…

生産する分析過程の技法論

…ではなく、分析という創発過程の共有にすぎない。それぞれの創発の進展にともなって、切実さの焦点はズレ得る。 結論部分(作品)より、この技法部分にこそ真髄があるように思う。 「理論というものは、こういうタイプの結論を目指さなければならない」という前提を死守して、 結論部分だけをあれこれ論じても、これが技法論であることに気づけない。 「そんなふうに論じている自分自身の制作過程」、そこで前提にされている技法論をこそ問われている。 *1:『無人島 1969-1974』pp.154-15…

制作プロセスの、創発的な造形

… プロセスそのものの創発的造形が、本人にとっても周囲にとっても良い影響を持つ。主観性の生産を含んだ、環境造形(disposition)の取り組み。 逃走や漏洩(lignes de fuite)の話は、そこでこそ意味をもつ。 知的な分節も制作プロセスであり、《何を目指そうとしているか》で、結論よりまえに、その人の議論の設計は終わっている。そこで間違えたら、いくら力んでも必要な話はできない。論じることで本人も周囲も苦しくなる。結論より前に、生産様式で間違っている。 私が「当事者」…

「マイナーになること」は、超越性の創発の話

…分析生成》を、縦軸の創発として擁護しているのではないでしょうか。私たちは状況内で追い込まれると、否応なく特異的な理解を編み出さざるを得ないはずです。そこで生じる分析には、内的必然性がなければ強度は実現できない。つまり強度といっても消費主義ではなく、「環境内在的な分析を生きること」が問われている。 名詞形で区切られた《当事者=マイノリティ》を肯定して見せることは、「マイナーになること」とは何の関係もないと思うのですが*4。 縦軸に関する新しい提案がないなら、 ドゥルーズ&グァタ…

グァタリと réel

…児期の「新生自己感(創発的自己)」のあり方(ダニエル・スターン)や美的創造のあり方など、その他の様態においても、第一であるのは、言説性に「先立つ」現実的なものの、主観的光景の前への侵入だが、その現実的なものの pathique*2な堅固さは、文字通り喉元を襲う。この現実的なものが硬直・石化し、病理学的災禍により緊張病*3になったと考えるべきか、あるいはこの現実的なものは、推定された象徴的去勢の排除の罰として、つねに(過去も将来も)潜んでいたと考えるべきだろうか。おそらく、この…

非シニフィアン的生産のために、契約論ではない社会を描けるか

…程として生きられていることを語っている。 *1:名詞化すると分からなくなってしまう。 《暗黙知=創発》がプロセスとしてしか生きられないように(安冨歩)、特異性も、特異化のプロセスとして内在的に生きるしかない。分析的理解が内発的に生じてしまうのだ。 *2:制度分析(analyse institutionnelle)と分裂性分析(schizo-analyse)は、ここを前提にしないと話にならないはず。 *3:英訳は1977年、Alan Sheridan 訳。 ラカン逝去の4年前。

「構造因」と、主体化のプロセスの生産様式

…10、事後的に生じる創発的分析の尊重にあるのだと思っています。事後的に「生じてしまうモノ」の時間は*11、時計時間(クロノス)の外ではあるが、現場の時間軸と別ではない。メタ言説が現場の時間を無視して自分だけの閉じた時間を生きようとするのとは、時間軸の生き方が違っている*12。 ガタリに限らず、そもそも20世紀フランスの思想は、ラカンの「分析主体」でも、フーコーの「再問題化」や監獄に関する活動*13でもそうですが、《本人が自分で語る》ということに、方法上の起爆剤を置いているとは…

「ふつうの精神病」の周辺

…ステムを「記号過程の創発」と見るとしても、あらかじめ「医師/患者」を切り分けてはならない。工夫された創発を営むことが、内側から生きられた臨床効果を含み得るという視点が要る。単に「記号過程の創発」というだけでは、間違った臨床とすぐれた臨床を見分けることができない。学知を生きるおのれは、すでに臨床事業の共犯者であるという自覚が要る。(「アカデミズムそのものを治療しなければならない」というのは、記号過程に関する問題意識といえる。) 『I.R.S.−ジャック・ラカン研究』第7号(20…

場所を再生する分析

…ergent には「創発」という意味があり、たとえば emergent system といえば、「創発システム」と訳される(参照)。 ここでグァタリが言っているのは、赤ん坊のことだけでなく、「成人以後にも硬直せず、おのれを組み直し続けられるか」 という話。 「il nous appartient de ...」は、既存邦訳の「〜しなければならない」だと、左翼イデオロギーの標榜に終わってしまいそうで、しかしここではそういう硬直したあり方をこそ問題にしているはずなので、変えてみた…

分析のスタイルとは、「意識のまとめ方」

…gent」なので、「創発的」とも訳せる。 *12:邦訳:「そこで使われる基本素材の質がなんら重要性をもたないということは」 *13:松岡正剛氏による解説: ≪サルトルは疎外された組織を「集列」(セリserie)と捉えた。そこに属すると“単なる他者”になってしまう組織性が「集列」である。そこではバスに並ぶ群や列のように、モノに支配されざるをえない人間の姿が見えてくる。もしバスが何百台もあるのなら、人々はバスを待ちはしないし、並びもしない。サルトルは人々をこのような集列に向かわせ…

「fonction décisoire」――創発的な法?

…lar Law / 創発的な法 Emergent Law》*1 という対比と、 同じもののはずだ。 主観性と中間集団の関係を扱ったジャン・ウリの発言で、いちばん決定的だがどうしても納得できないものを再度引用しておく(参照): 大事なのは、知らないうちにものごとが決まっているという状況なのです。これのことを私は「決定の機能(fonction décisoire)」と呼んでいます。ある一人の人物が偉そうに、自分が決定権をもっている人間だといった形で決定されるのではなく、知らないう…