分析のスタイルとは、「意識のまとめ方」

カオスモーズ

カオスモーズ

以下、強調は全て引用者による。


わかりにくいところを訳しなおす努力をしてみます。

  分析について以上のように考えてみれば、時間も受動的にこうむるだけのものであることをやめ、こちらから能動的に動かし、方向づけを与えることのできる性質的変化の対象に変わります。
 Dans cette conception de l'analyse, le temps cesse d'être subi ; il est agi, orienté, objet de mutations qualificatives.
 分析はもはや、もとからある潜在内容に応じた、転移をともなう症候の解釈ではなく、実存を分岐させる可能性を秘めた新しい触媒的原点の発明です。*1
 L'analyse n'est plus interprétation transférentielle de symptômes en fonction d'un contenu latent pré-existant, mais invention de nouveaux foyers catalytiques susceptibles de faire bifurquer l’existence.
 つまり特異性、意味の破砕、切断、断片化、そして――ダダイストシュルレアリストが実践してみせたような ――記号論的内容の分離が、主体化の突然変異的な原点になり得ます*2(p.34)
 Une singularité, une rupture de sens, une coupure, une fragmentation, le détachement d’un contenu sémiotique -- a la façon dadaïste ou surréaliste -- peuvent originer*3 des foyers mutants de subjectivation.

 化学はその成立当初、複雑な混合物を純化し、そこから均質な原子および分子レベルの物質を抽出しなければならなかったし、また原子と分子を出発点に据えたからこそ、以前には存在しなかった無限に多様な化学物質を合成することができるようになりもしたのです。
 La chimie a dû commencer à épurer des mélanges complexes pour en extraire des matières atomiques et moléculaires homogànes et, à partir d'elles, composer une gamme infinie d'entités chimiques qui n'existaient pas auparavant.
 同様にして審美的な主観性、あるいは精神分析的意味での部分対象を「抽出」し「分離」すれば、前代未聞の、見たことも聞いたこともないような詣調、多声音楽、対位法、リズム、管弦楽編成を加えて、主観性を限りなく複合化することが可能になります*4(p.34)
 De même l’« extraction » et la « séparation » de subjectités*5 esthétiques ou d'objets partiels, au sens psychanalytique, rendent possible une immense complexification de la subjectivité, des harmonies, des polyphonies, des contrepoints, des rythmes et des orchestrations existentielles jusqu’ici inédits et inouïs.

 こうした脱領土的複合化には本質的に危うい面がある。再領土化に向かう衰弱によって常におびやかされているからです。その危険はとりわけ現在の状況で大きくなりますが、それは機械によって生み出された情報の流れが優位に立ち、古くからあるさまざまな実存の領土性を全面的にさせる流れがあるからにほかなりません。 (pp.34-35)
 Complexification déterritorialisante essentiellement précaire, parce que constamment menacée d’affaissement reterritorialisant ; surtout dans le contexte contemporain où le primat des flux informatifs engendrés machiniquement menace de conduire à une dissolution généralisée des anciennes Territorialités existentielles.
 産業社会の初期段階では「デモーニッシュなもの」が顔をのぞかせる状況もまだ残されていたのに、今では神秘も手に入りにくい珍品になりつつあります。 (p.35)
 Aux premières phases des sociétés industrielles Ie « démonique » continuait encore d’affleurer, mais désormais Ie mystère est devenu une denrée de plus en plus rare.

 この点に関しては、最後に残された「存在の異形性」を必死になって捉えようとしたヴィトキェヴィッチ*6の探究を思い起こすだけで十分でしょう。 ヴィトキェヴィッチには求める対象が、まさに指と指のあいだからこぼれ落ちるように見えたのです。 (p.35)
 Qu’il suffise ici d’évoquerla quête désespérée d’un Witkiewicz pour saisir une ultime « étrangeté de l’etre » qui semblait littéralement lui glisser entre les doigts.
 そのような状態に陥った場合、人為的に密度を下げられ、孤立状態に逆戻りさせられた主体化の宇宙を組織しなおす作業にとりかかるのは広い意味で詩的機能だということになる。
 Dans ces conditions, il revient à la fonction poétique, dans un sens large, de recomposer des Univers de subjectivation artificiellement raréfiés, resingularisés.

 詩的機能に求められるのはメッセージを伝達し、同一化の土台となる心象に、あるいはモデル化の手続きを支える行動パターンに対して備給を行なうことではなく、
 II ne s’agit pas pour elle de transmettre des messages, d’investir des images comme support d’identification, ou des patterns de conduite comme étai de procédure de modélisation,
 共存性と持続性を獲得できる実存操作手の、触媒になることなのです*7(p.35)
 mais de catalyser des opérateurs existentiels susceptibles d’acquerir consistance et persistance. (『カオスモーズ』p.36)



ふつう「分析」というと、論じる作業それ自体のプロセスはいっさい無視され、メタに確保されるべき「内容」それ自体に注意が向かう。内容が正しければ分析は良いとされるが、まちがっていれば、分析のプロセスはまったく無意味だったことになる。プロセスがそれ自体として評価されることはあり得ない*8

ところがここでグァタリは、決定的な機能を帯びた分析は、むしろ詩的なプロセスとしてしか実現しないことを主題にしている。本当に必要な分析は、「科学」に自分を還元して居直るような傲慢さではなく、分節の作業それ自体の身体性として、独自の機能を帯びる。単なる詩的惑溺ではなく、かといって科学を口実にするのでもない、分析の強度それ自体が屹立しなければ破綻する危うい「まとまり」を、中空でやり直すこと。

ここで選びとられた《分析=再構成》のスタイルは、主観性がまとまりをつくるときの方針であり、しかもそこには内発的な必然性が求められる。あっさり「科学」を口実にする人は、試行錯誤のスタイルに掛け金があることに気づけない。


 このような詩的 - 実存的触媒は、文章、発声、音楽、あるいは造形芸術など、さまざまな言説作用の内側で作用することもあって、芸術作品の制作者と解釈者と受容者のあいだに、分析家と患者を結びつけるのと同じ言表行為による結晶作用が、ほとんど共時的に始まる要因として働きます。 (pp.35-36)
 Cette catalyse poético-existentielle, qu’on retrouvera a louvre au sein de discursivités scripturales vocales, musicales ou plastiques, engage quasi synchroniquement cristallistion énonciative du créateur, de l’interprète et de l’amateur de l’œuvre d’art comme de l’analyste et de son patient.
 触媒の効能は、活発な過程的断絶をうながし、記号によって構造化された明示的意味作用の織り目をほぐしていく能力にこそあるのだし、また触媒の力によって断絶から生まれ、活動を始めるのがダニエル・スターン的な意味で新生の主観性なのです*9(p.36)
 Son efficience réside dans sa capacité à promouvoir des ruptures actives, processuelles, au sein des tissus significationnels et dénotatifs sémiotiquement structurés, à partir desquelles elle mettra en œuvre une subjectivité de l’émergence, au sens de Daniel Stern.

 だからこそ、一定の――つまり歴史と地政学の観点から見て位置が定まった――言表行為域で実際に作用しはじめたとき、ここでとりあげた分析的 - 詩的機能は自己準拠と自己価値化の突然変異的な原点として樹立されるのです*10(『カオスモーズ』pp.36-37)
 Lorsqu'elle se déclenche effectivement dans une aire énonciative donnée -- c’est-à-dire située d’un point de vue historique et géo-politique – une telle fonction analytico-poétique s’instaure donc comme foyer mutant d’auto-référenciation et d’auto-valorisation. (Félix Guattari 『Chaosmose』p.36)



ここで問われているのは、数式や実験の手続きでも、権威への準拠でもなく、
論じるプロセスが特異化の必然性を、その強度を実現できているかということ。
でたらめでは、強度を実現できない。制作過程それ自体の、新生的*11で底の抜けた必然性が問われている。

 またそうであればこそ分析的 - 詩的機能は常に二つの観点から検討されなければならないのです。
 C’est pourquoi on devra toujours la considérer sous deux angles :

  • (1)分子状の断絶、知覚できないほど微細な分岐点と見るならば、分析的 - 詩的機能には支配的冗長性、「すでに分類されたもの」の編成、あるいは別の言い方をしたほうがよければ古典的なものの秩序を転覆させるだけの力があることになる。
  • 1. En tant que rupture moléculaire, imperceptible bifurcation, susceptible de bouleverser la trame des redondances dominantes, l'organisation du « déjà classé » ou, si l'on préfère, l'ordre du classique,
  • (2)同じ冗長性の連鎖からセグメントの一部を選別するものと見るならば、分析的 - 詩的機能は選び出したセグメントに先ほど説明したシニフィアン的な実存の機能を与え、そのセグメントを「リトルネロ化」したうえで、主体化の「転換装置」として作用する部分的言表行為の激烈な断片に変えるものだということになる。
  • 2. En tant qu’elle sélectionne certains segments de ces mêmes chaînes de redondance, pour leur conférer cette fonction existentielle a-signifiante que je viens d’évoquer, pour les « ritournelliser », pour en faire des fragments virulents d’énonciation partielle travaillant à titre de « shifter » de subjectivation.

 基本素材の質が重要性をもたないことは*12マルセル・デュシャンの願いをかなえたかのように徹頭徹尾「見物人」のほうへ顔を向けた反復音楽や舞踏を見れば明らかでしょう。
Peu importe ici la qualité du matériau de base, comme on le voit avec la musique répétitive ou la danse Buto qui, selon le vœu de Marcel Duchamp, sont entièrement tournées vers « le regardeur ».
 何よりも重要なのは力強く変異性のリズムを刻む時間化の動きであり、またその動きに、新たな実存の体系を構成する相互に異質な要素を一つにまとめるだけの力があるということなのです。
Ce qui importe surtout, c’estla lancée rythmique mutante d’une temporalisation capable de faire tenir ensemble les composantes hétérogènes d’un nouvel édifice existentiel.

 詩的機能を越えた先で問われるのは、主体化の装置のあり方です。
 Au-delà de la fonction poétique, se pose la question des dispositifs de subjectivation.
 もっと正確に言うなら、主体化の装置が集列性――サルトル的な意味での集列性*13――から抜け出し、実存にその自己-本質化とでも呼べるような力を回復させる特異化のプロセスに入っていくようにするには、いったいどのような特徴を与えればいいのか、ということ。 (pp.36-37)
 Et, plus précisément, ce qui doit les caractériser pour qu’ils sortent de la sérialité -- au sens de Sartre – et entrent dans des processus de singularisation, qui restituent a l’existence ce qu’on pourrait appeler son auto-essentialisation.



ここにあるのは、「主観性はまとまっているのが当たり前で、それが散乱しているのは異常だから正常に戻そう」ではなくて、

「そもそも主観性には無理がある、ではこれから私たちはどうやってそれをまとめ上げようとするのか」であり、その纏め上げのスタイルに、政治的-臨床的な賭け金がある。

    • 主観性は、まとめ上げようとするその瞬間に破綻する。 【「自分の言葉」のヤバさ】
    • ようやく纏めても、それはほかの主観性たちとの関係で排除される。 【特異化と合意形成】



つづき: ≪場所を再生する分析


*1:邦訳:「分析は、もとからある潜在内容に照らした、感情転移をともなう症候の解釈であることをやめ、実存の分岐にもつながる力を秘めた触媒の新たな集中点に変貌します」(p.34)

*2:邦訳:「主体化の起こる変異性の焦点を源にして生まれる可能性があるということです」(p.34)

*3:Le Petit Robert 1 Dictionnaire De LA Langue Francaise』を見ても、「originer」という単語はない。 タイポだろうか?

*4:「subjectivités」が「主体感」と訳されていたのを、「主観性」とした。

*5:「subjectivités」のタイポ?

*6:Wikipedia:「Stanisław Ignacy Witkiewicz」によると、1885年ワルシャワ生まれの劇作家、小説家、画家、写真家、哲学者。 ナチスソ連ポーランドに侵攻した直後の1939年9月、自殺。 ⇒「彼のスタジオはドイツ軍のワルシャワ侵攻のときに焼け、絵画・原稿に加えて、万を超えたはずの写真も焼失してしまった」(光田由里氏

*7:邦訳:「みずから触媒となって、共存性と持続性の獲得につながりうる実存的演算子を結集させることなのです」(p.35)

*8:ここでしているのは、「答えは間違ってるけど、考え方はいいから10点満点で3点あげる」とかいうのとは全く違う話だ。 最終的な着地点を外部にまったく依存しないような自己構成があり得るのか(許されるのか)ということ【cf.「内的な法 loi interne」】。 グァタリの基本用語に「特異化(singularisation)」というのがあるが、そこだけ特異化していれば、周囲への順応は破綻している。

*9:以下、松井尚子、PDFより参考引用:≪スターンは,1970年代以降の乳幼児発達心理学諸研究の知見を視野に入れながら、誕生直後から言語の出現辺りまでの乳幼児の「自己感」(sense of self)の発達を論じている。 それによると、誕生以後、乳児の自己感は新生自己感(sense of an emergent self)、中核自己感(sense of a coreself)、間主観的自己感(sense of a subjective self 〔2000年度版では itersubjective〕)、言語的自己感(sense of a verbal self)へと変化・発達する≫

*10:邦訳:「自己参照化と対自己的価値付与が起こる特異性の焦点として成立するわけです」(p.36)

*11:ここでいう「新生的」は、もとのスターンの英語で「emergent」なので、「創発的」とも訳せる。

*12:邦訳:「そこで使われる基本素材の質がなんら重要性をもたないということは」

*13:松岡正剛氏による解説: ≪サルトルは疎外された組織を「集列」(セリserie)と捉えた。そこに属すると“単なる他者”になってしまう組織性が「集列」である。そこではバスに並ぶ群や列のように、モノに支配されざるをえない人間の姿が見えてくる。もしバスが何百台もあるのなら、人々はバスを待ちはしないし、並びもしない。サルトルは人々をこのような集列に向かわせるのは、そこに社会的な稀少性があるからだろうと判断した。こうして、これらの社会的心理的な集列からの離脱こそがサルトルの方法的課題になってくる。≫(千夜千冊:『方法の問題』